2012年05月19日
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2011年09月18日
チャンスをつかむ
サッカーで言ったら、『プロサッカー選手?無理だよ』みたいな感じで、欲がないというか、残念な意味で現実を見ている。
現実を見るのは大事なんだけれど、夢と現実があるから魅力的な人間になれるんじゃないか?と思う。
サッカーを通じて人間を育てていくってことは難しい。でも、夢を持った人間が現実に負けないようにって努力し続けて、結果として夢が叶う者と叶わない者ができてしまうのはしょうがないけれど、何か大事なものをつかめる人間というものは常に夢を持って努力した者であるからこそ、夢が叶わなくても魅力のある人間に育っていくんじゃないかな?
ある大学の監督が高校生に対してこんなことを言っていた。
『サッカーを続けたくても続けられない人がいる中で、真剣にサッカーをやれるチャンスが目の前に転がってきてるんだから、真剣に考えてみてもいいんじゃないか?仮にここで断ったら、他に声をかけてくれるチームがなかったら君はサッカーを真剣に続けられるチャンス、サッカー選手としてのチャンスを逃がしてしまうことになるかもしれないってことを考えて欲しい』
って。
逆に夢だけで現実を見ていない子が結構いる。
『プロサッカー選手になりたい』
それは素晴らしいこと。
でも、それに見合った努力をしているかどうか?
日本でも高校在学中にプロの試合に出場している選手が珍しくない中で、そんなに実績のないチームのいち選手がプロ選手になろうと思ったら、並大抵の努力ではプロにはなれないんだよ。それはよく考えれば誰でもわかるんだよね。
年頃の若者がプロのサッカー選手になりたいって夢があるのはいいけれど、遊びたいとか、彼女を作りたいとか、バイトしてお金が欲しいとか、色々な現実の誘惑に負けてるようじゃ、夢は夢で終わってしまうよ。
チャンスはいつ転がってくるかわからない。
たまに『あの時○○(チーム名)から誘われてたんだよね』とかって言って、草サッカーの場所でちやほやされているような選手を見ることがある。
でも、所詮はチャンスを捨てたから今は草サッカーしてるんでしょ?って感じだし、その程度の器だからプロサッカー選手になれなかったってことなんだよね。
実力を持ったものが努力をし続けて、夢を見て、現実に負けないで、チャンスをつかむ。
サッカーの指導者がそういった当たり前のことを伝えていかなくてはいかないんだよね。
自分も現場でそういったことを選手達に伝えていかなくてはいけないと思っている。
2011年09月13日
ウズベキスタン戦に思う
実際、引き分けてよかったよね。
本田の不在がチームの不調の原因と指摘する人も多いけれど、そんなことよりも、個人の能力の差をちょっと感じてしまった。
ウズベキスタンはホームだということもあり、イケイケという表現がふさわしいほど、マイボールになるとガンガンドリブルで仕掛けてきた。
俊足のサイドバックとの評価の内田篤人でさえも、あっけなくぶっちぎられた。
中央の今野と吉田も、あっけなく振り切られる場面が目立ち、サイドバックがその裏のカバーリングをせざるを得ないという苦しい内容…いや、GK川島のファインセーブがなければ、1-3の完敗といったところだっただろうね。
とにかくこの日のウズベキスタンの仕掛けは驚異だった。
ボールを持ったら迷いなく縦へ突進といった感じ。それが特定の選手ではなく、ほとんどの選手にそういう意識が感じられた。
ボールを奪う際の迫力も、明らかに日本は圧倒されていた。
アジア国内で、これだけ球際での奪い合いを圧倒されたことは、低迷していた岡田ジャパンの時にも記憶がない。
ウズベキスタンを『アジアの中ではヨーロッパ的』と、TVでは実況が連呼していたけど、全然そういう感じではなく、野生的なフットボールの原点って感じだった。ボールを持ったらゴールへ突進!みたいなスタイル。でもそれができたのは、日本の選手よりも荒削りではあるけれど、フィジカルを含めてボールを前に運ぶ能力が高かったからだと言えるだろう。
個人的には22番のカルペンコなんかは、本当に荒削りだけど怖い選手だなって思った。
そういう選手を止めるDFの選手を育てるには、突破する選手を先に育てなくてはならないから、足先だけの技術だけじゃなくて、前に運び続ける強引な突破が持ち味の選手を日本で育てることを、真剣に考えなくてはならないね。
ルールのないストリート的なプレーをしてこないことには、規格外の選手は育ってこない。
文化の違いはあれど、日本の『お稽古事』的なサッカーの土壌は改善していかなくてはならないだろう。
自分も指導の現場で反省することばかりなんだけれど、ファウルまがいのプレーでもそれを振り切る強さを育てるためには、大人がそのプレーを止めないほうがいいんじゃないかって思う。要するに、審判がない状態でプレーしなくては得られないことがたくさんあるということ。実際、日本の子は倒されるとほとんどのケースでプレーを止める。そして審判にアピールする。『笛が鳴るまで続けろ!』ということはほとんどの指導者が言っていることではあるけれど、実際は倒されたらかなりの確立でプレーを止めちゃう。だから本当の強さっていうのはなかなか身についてこない。
先日実際に見て驚いたのは、U-14世代のフットサルの大会で日程終了後に、10分勝ち残り形式でセルフジャッジ形式で試合をさせたときの事。
僕は指導者という立場ではなく運営の立場で会場にいて客観的に見ていたのだけれど、指導者が見ていない状態での草サッカー的な流れで、明らかなファウルで倒されたときの倒された選手の反応といえば、本当に『倒され損』みたいな状態になる。倒されないようにどうするか?それは常日頃からのストリート的な経験でしか味わえないこと、学べないことが多々あるはずなんだけど、そういう経験がないからそこで終わってしまうの。
そういう環境が絶対的に日本には不足している。
草サッカーは教えられるものではなく自分達が作っていくものであり、厳しい環境から選手が育ってくるものだ。指導者が環境を与えることでは不十分である。
それでも、現状の日本でできることを考えなくてはならないんだけど、やはり一番は大人と子供が本気でぶつかり合う機会を作ることなんだよね。指導者もそれなりに技術がなくては選手も納得しないだろうし、指導者も考え続けなくてはなめられる。
ピッチに立った以上は大人も子供も平等なはずだからね。
ウズベキスタンのサッカー事情はよくわからないけれど、サッカーの内容からしたらアマチュアや草サッカーの環境は日本よりもプロ選手が育ってくる環境があるんじゃないか?と思った。実際、自国リーグよりもウクライナリーグでプレーする選手も多いみたいだし、身近にそういったチャンスもあるんだろう。
ホームでのウズベキスタン戦は、是が非でも勝点3を獲らなくてはならない日本。
実際、ホームでの日本の勝率はかなり高いし、チームとしての完成度は日本のほうが高い。
それでもね…個人が集まってのチームだからね。
個人が上手いことに越したことはない。
だからこそ、ウズベキスタンの選手の個人の能力、身体能力が羨ましかった。
餅か?紫陽花か?
日本はチームとしてまだまだ餅しか作れていないんだよ、きっと。
2011年07月19日
なでしこJAPAN
女子サッカーのステータスとしてはオリンピックのほうが上だと言う方もいるかもしれないが、FIFA国際サッカー連盟としてはW杯が競技としての最高の大会と認識させようと考えているはずなので、やはり堂々と世界を制したと胸を張っていいと思う。
本当に色々な意味で、今回の優勝は大きい。
東日本大震災の直後の大会で、日本国民に対して感動と勇気を与えた事は間違いない。
実際に経済効果は1兆円と算出されているらしい。
それだけではなく、日本のスポーツ界にとって良いニュースがあまりなかった中、良い影響を受けて切磋琢磨していくことでの発展につなげるチャンスであることは間違いない。
そこで当ブログの本質を崩さずに、日本サッカー界、特に選手育成といったところにフォーカスして話を進めていきたいと思う。
まず、環境の問題。
女子のクラブがほとんどないという現状。
現行のルール上、男子と一緒に練習に混ざれるU-15世代まではともかく、その後にサッカーを続けていくにも、女子サッカー部がある高校を選べないケースもあるだろうし、地域にあるクラブも数えるほどだろう。
指導の内容以前に、サッカーをする環境すらないということだ。
そして、今回のなでしこJAPANこと、女子日本代表の選手のほとんどがプロ選手ではないということ。
当然練習の前には各々が仕事を持っている。それもアルバイトであるケースがほとんどだという。
仕事の後に練習をして、週末は試合。サッカーでの収入はほとんどないだろうし、それでも自分の為、好きなサッカーの為に努力し続けているというわけだ。
女子サッカーの環境として、多くの企業チームが親会社の事情により規模の縮小や、会社の撤退からの地域クラブへの移行、最悪は解散に追い込まれた。
東京電力女子サッカー部であったTEPCOマリーゼも、YKKフラッパーズから移管されたチームであるし、そのTEPCOマリーゼの現状に関しては皆さんがご存じのとおりである。
代表チームとしても、チャーター便が用意されることもなく、エコノミークラスでの移動となるのも当たり前…本当に厳しい環境であるわけだ。
同じようなケースでいえばフットサルのFリーグの選手たちもほぼ同じ環境である。
2007年Fリーグの開幕戦で、ステラミーゴいわて花巻の選手たちも、東京の代々木第一体育館までバスでの移動だったし、試合終了後、すぐにマイクロバスで花巻に帰って行ったのを目の当たりにして、そういう現状から数年後にどうなるのか?と期待と不安があったのも事実である。
もちろんサッカーでもJFLや地域リーグのクラブの大半はこのケースに当てはまるだろう。
そんな環境でも、なでしこJAPANが結果を残した事は、大きな称賛に値するのは言うまでもない。
不況の中、劣悪な環境でサッカーを続けなくてはならないのはどのカテゴリーでも同じであるが、場合によっては日本の私立大学、私立高校の中には、人工芝の専用ピッチやクラブハウスを持つところもある。その環境に溺れてしまっていては育成の目的からは大きく外れてしまう。
誰が見ても、すぐに環境が改善できないのは理解できるところだ。
それでも不平不満を言わずに結果を出すまで努力し続ける精神力こそが、技術よりも大きな財産であることは間違いない。
夢を持つことは大事だ。大きな夢を持つことで、途中途中に到達目標ができてくる。
夢があるから努力できるけれども、理想と現実のギャップに苦しんで諦めてしまう選手もいるだろう。それは自然の流れであるが、やはり現実に負けないで努力を惜しまない人材は、サッカー選手として淘汰されたとしても、セカンドキャリアの上でも成功の可能性を秘めている。
一昔前までは、サッカーといえばメキシコ五輪組だった。
その後長い冬の期間があったけれども、Jリーグができ、W杯に出場、開催ができたことで、サッカーで飯が食える人が驚くほど増えた。
女子日本代表が今回のW杯優勝で、きっと女子日本代表の認知度も更に上がるだろう。
その陰には、諦めないで劣悪な環境でプレーを続ける選手たちがたくさんいるわけだ。
もちろん環境が改善されることも望んでいる。
しかし、決して環境が良くなれば、良い結果につながるというわけでないということを、今回のなでしこJAPANは示してくれた。
だからこそ…現状環境に恵まれていない選手たちも、悲観することなく夢を持ち、現実に負けないで努力を続けていって欲しいと思う。
まずはそういったところから培われていく精神力がなくては、世界と戦えないことが証明されたのだから。
2011年06月26日
SANTOS CAMPEAO!!
久しぶりに平日の午前中にテレビにかじりついて見てた(笑)
決勝の第2戦は、ホームのサントスが前半からアグレッシブに試合を進めていたけど、カウンセラーで機を逃さない姿勢をペニャロールも見せていた。
久しぶりに南米らしい試合運びをお互いが見せてくれて、内容で言ったらもっと面白い試合は他にもあるかもしれないけど、僕にとっては非常にワクワクする試合だった。
その中で、3つほど。
1つは、ホームのサントスが、ネイマールやガンソ、エラーノといった個性を活かす為に、ボールを失わないスタイルを貫いていたこと。
ボールを失っても、ヴォランチのアロウカが、献身的にボールを奪い直してガンソやエラーノに供給していた。
アロウカは小柄だし、日本人選手も学ぶべき点が多い選手だと思う。
ペニャロールがカウンターを狙う慎重なスタイルだということからも、ボールを失わないことは重要だっただろう。
ネイマールがコーナー付近でドリブルで仕掛けても、エリア内に侵入できそうでなければ、中盤の選手、あるいは場合によってはDFの選手にまで下げてでも失わないことは、相手にとっても脅威だっただろう。
2つ目はファウルの質。
1つ目にも繋がる話なんだけど、ボールを失った後にボールを奪い返す意識が高いだけでなく、場合によってはファウルでストップしていた。あくまでファウルを肯定はしないけれど、そのファウルの場面では、『あ、ファウルで止めるぞ!』って空気があって、実際にファウルで止める。審判もそれを予想してるのか、笛の吹き方も小刻みに『ピッ!!』と、ヒステリックになることなく、自然な流れになり、カウンターの芽を摘み取った上に、ファウルされた側も怪我することなく、『しょうがないか…』って感じに見える。
文化の違いもあるだろうけど、決定的なピンチをカード覚悟で止めるとかじゃなくて、ファウルも1つの駆け引きだよっていうのを選手も審判も身体に染みつけてるのかな?って感じだよね。
その逆に、ファウルをしないタイミングも絶妙だった。
コーナー付近にボールが出て、相手のDFが身体を入れて対応する場面ってあるじゃない?
そんな時、日本だとボールを追う側がガツガツ行って、ファウルになる場面は珍しくないけど、この試合、特にサントスはある程度ペナルティエリアの外側のコーナー付近まで追い込んだらプレッシャーを緩めて、高い位置からボールを奪い返す組織的なグループの守備の起点としていた。これはいらないファウルを減らす事に繋がっていたと思う。
そして3つ目。
サントスの右のラテラウ(サイドバック)として
出場していたdaniloのゴールのシーン。
シュートを打つ前のドリブルから、ずーっとGKとゴールの位置を確認してるんだよね。ほとんどボールを見ていない。
しかもシュートは明らかにゴールにパスしてる。
キックの技術もさることながら、その前のルックアップは日本人選手でできる選手がどれだけいるだろうか?
だいたいボールを見たままドリブルを仕掛けて、シュートを思いっきり打って枠を外すとかってシーンの方がイメージできるでしょ?(苦笑)
話題のネイマールもそうだけど、ドリブルで顔が上がってるだけじゃなくて、次のプレーのシナリオが出来上がってる。全てのプレーが繋がるんだよね。
日本人はどうしても蹴るなら蹴る練習しかしないし、止めるなら止める練習しかしない。必要なのはプレッシャーのある中で、いかに止める、蹴るが出来るか?なんだよね。
リベルタドーレス杯の決勝ってシチュエーションだけでも興奮するのに、そんな事が見えてくると複雑な気分で。
クラブW杯ではサントスとFCバルセロナが来日するんだよね。
今からワクワクする。
2011年06月08日
競争すること
たとえばサッカーでは1チームで同時にピッチに立てるのは11人である。
面白いけど、選手にスターティングメンバーを決めさせると、指導者の考えるベストのメンバーにならない場合が多い。
不思議だけど、そのメンバー決めの光景を見ていても、譲り合う場面が見られたり、子供の世界の中で立場が弱い選手が遠慮したりする現象が見られる。ある意味競争意識の欠如なのではないか?
11人という枠に入るため、特にGKは1つしかない枠に入るための競争は、本来なら避けて通れない。ましてやプロ選手になりたいというハードルをクリアしようとすれば、遠慮してしまうことは絶対に損である。
誤解を招く前に断っておくが、社会において譲り合いの精神は絶対に必要である。
未曾有の大災害であった東日本大震災において、被災地でない地域でも買占めという残念な現象も起こったけれど、そういうときにはお互い助け合うことが当たり前であるし、教育においてもそういった点は強調し続けていかないことだと思う。
しかしだ、大好きなサッカーをプレーして、ある程度の目標を達成するには、絶対に競争に勝たなくてはならないのは当然のこと。ピッチの外では仲の良い友達であっても、ピッチの中では激しい競争に勝ち残らなくてはならない。
極端な例だけど、僕が実際にブラジルで体験したことを紹介する。
当時練習に参加していたクラブは、20歳以下のジュニオールというカテゴリーでも、通常のプロよりも高額な報酬がもらえるクラブだった。特殊な例だけど、ジュニオールのカテゴリーだけにスポンサーが付き、そこから給料が支払われていたらしい。
専用のバスで町を巡回しながら練習場に向かうんだけど、新しくテストに合格した選手がバスに乗ってきたとき、ポジションが被る選手の表情が一変した。
握手をするときに目も合わせない。周りの選手もそれに気が付いている。バスの中でも火花が散っていた。
いや、それが当たり前なんだと、そのとき実感した。
練習が終わり、仲の良かった選手と雑談していると、ある選手の名前が出た途端に真剣な表情でこう聞かれた。
『あいつ、いい選手か?本当に?』
同じポジションの選手だったのは言うまでもない。
神経質なまでに、ライバルの名前には敏感になる。
前にも書いたことがあるけれど、ある選手は数ヵ月後に僕がクラブに戻ってきたらいなくなっていた。
他の選手に聞いたら、『あいつは力がないから首になったんだよ…自分では言わなかったけどな』と言っていた。
そういう環境から育ってくる、文字通り生き残った選手が、どれだけ力のある選手であるかはおわかりだろう。
オランダで一斉を風靡したフリットとライカールトは、幼少の頃からの親友だったのは有名な話である。
ホナウジーニョと磐田等でプレーしたグラウも、非常に仲の良かった友人らしい。
しかし、お互いがそれなりに成功したから美談にあるだけであって、実際にはその熾烈な競争に勝ち残った結果であることを評価するべきである。
日本の育成年代のサッカー事情の中で、部活が終わった後に部室で先生や先輩の悪口を言ったりして結束するのが楽しいという見方があるけれど、それでは本当の競争社会は作られていかないのはよくおわかりだと思う。
実際に生き残る選手は、そんな時間も練習に打ち込んでいるだろうし、常に向上心を持ち続けてるはずだ。
実際に成功したエピソードの中では、才能だけで生き残れる例なんかほとんどない。
僕が個人的に指導するときに選手に聞かせる話だけれど、
『才能がある選手が、努力して、尚且つ運に恵まれなければ、プロ選手としての成功はない』
と思っている。
才能、努力、運…どれが一つかけても成功はできない。
ただ、才能が足りないと思っていても、人の何倍も努力することで、運を引き寄せて成功した例だってゼロではないし、仮にプロサッカー選手になれなかったとしても、セカンドキャリアで成功するきっかけを見つけられるはずだと思っている。
サッカーの世界で本当の競争を経験することは、どんな世界でも通用する精神力も身につけられると信じている。
2011年05月04日
前回の記事に追加
前回の記事を書く前に、2009年に自分が書いてた記事。
本当に、震災がないと気がつかなかったのか…まあ、きっかけがあって気がついた、Jクラブのアカデミーの贅沢さなのかもしれないけど…。
結局ね、恵まれてないクラブのほうが多いんだから、そういった現状を理解することが大事なんだよね。
ちょっと技術があってJのアカデミーに入っただけで環境や待遇に満足するんじゃなくて、環境に恵まれないクラブがたくさんあるからこそ、自分たちが支えられているという現状に気がつかないといけない。
練習のピッチや用具が無くたって、好結果を残してるクラブがたくさんあるんだし、環境のせいにしてはいけないっていう見方もあるよね。
そうそう、前に真夏に中学校の指導をしたときに、
『暑いから、少し休憩しましょう。飲み物も用意しますから、涼しいところで…』
と、職員室に案内されそうになったんだけど、
『僕は選手と同じように水道の水を飲んで、日陰で休みますから大丈夫です』
って答えたら、その先生からも、
『そうですよね…大事なことを忘れてました』
って反応を頂いた。
指導者と選手が同じ環境でベストを尽くす。
こういうご時世だからこそ、考えたいね。
改めて…東日本大震災の被災地に笑顔が戻るきっかけのひとつが、FUTEBOL、サッカーであることを祈るとともに、一日も早い復興をお祈りいたしております。
2011年05月03日
贅沢に気がつく?
震災の影響が、あながち育成にはマイナスではないといった記事である。
確かにそういう要素もあるだろう。
しかし、こういう状況にならなくては気がつかないというのも、どうも残念な話だと感じる。
前にも書いたんだけど、某Jクラブのアカデミーが参加していた、ちょっとしたフェスティバル形式の大会に、自分の指導していたチームが参加したとき、土のピッチと高校生が普段使っているボールに戸惑っていたのが某Jクラブのアカデミーの選手だったんだよね。
たまたま僕が審判をやってた試合でハーフタイムに、
『こっちのボールでやりませんか?』
って、Jクラブが使ってるボールを持ってきた時には、
『ああ、本当にこいつら学んでない』
って思ったもん。
自分が見てきた環境で言えば、ブラジルの町クラブなんかは、芝というより雑草のピッチで、ボールもぼろぼろで、シュート練習も限られた数のボールでやってたりもする。
そういう中から這い上がってきた選手だけが、環境の整ったクラブに入ることができる。
もちろん日本だって恵まれてるチームのほうが少ない。
環境に左右されない逞しい選手を育てるためにはどうしたらいいのか?
本当に指導に関わってる者全てが考えよう。
本当に必要なもの、伝えなきゃいけないものって何だろう?
2011年04月29日
コメントを頂いた件について
気が付いたら4年前に書いたんだね。
現在ではダニエウ・アウべスとかマイコンとかが代表されるラテラウだろうか?
また、長友と内田篤人が海外でそれなりの地位を築いたことは、日本人の体格やフィジカル面を活かし、昨年のW杯でも日本代表がある程度の結果を残した結果、つかんだチャンスを更に活かしたと評価しても良いだろう。
そして特定のチーム名が出て、コメントから質問を頂くことができたので、自分なりの見解を書きたいと思う。
鹿島の弱点とラテラウの関係ということでお話を。
2007シーズンのオリヴェイラ監督就任後、自分が見ている鹿島の試合のイメージは、2007シーズンは比較的田代の頭に合わせるパターンが多かった。
特に内田から田代というパターンは多かった。印象のあるゴールが多いわけではないけれど、アーリークロス気味のボールも含めて、田代というターゲットがいる時には、迷うことなくクロスやロングボールを入れる事が出来た。
だから、リスクマネージメントもうまくいっていた。クロスを上げる事ができれば、ラテラウが上がったスペースを突かれる前にケアもできる。ヴォランチの一角の青木がアンカーとしてCBの間に入ることによって、スペースを埋めることで安定したリスクマネージメントができていた。
結果2007シーズンの終盤は、曽ヶ端が出場停止だった神戸戦で3-2の不安定な試合だった以外は、ラテラウが目立った守備の崩壊の原因にはなっていなかったと思う。
2008シーズンは内田篤人の欠場後、伊野波が右のラテラウに入ったことでクロスが上がらなくなった。
田代がこのあたりから調子を崩した。そしてポジションを失った。
皮肉にも、マルキーニョスが爆発したことで、安定したパフォーマンスを見せている新井場や復帰した後の内田篤人も、クロスを上げるというよりも、サイドでの起点やサイドチェンジを受けてボールを運ぶといったプレーで目立つようになった。また小笠原負傷後は、中後も守備への意識が高かったので、ラテラウがある程度高い位置を取ってもスペースを埋めることができていた。
2009シーズン、ヴォランチは中田浩二が務める事が多かったが、2007シーズンと2008シーズンの中間?といった感じで、両ラテラウの裏のスペースを狙われることはあっても、中田浩二がCBの前のスペースからCBの中間、もしくはCBの脇に下がりスペースを埋めることで対応ができていたと思う。
今思えば、このあたりで修正が必要だったのだろう。
2010シーズン、内田篤人がシャルケに移籍した後、新井場が右、左にはジウトンが入り歯車が狂った感はある。
正直、ジウトンを起用するのならば、ヴォランチ2枚の守備力がかなり問われてくる。
ブラジルのラテラウにありがちなのは、上がった後に戻らない事。個人的に印象深かったのは、95年と96年のパウメイラスの両ラテラウ。
CafuとRobertoCarlosだ。
もちろん、全部が全部戻ってこないわけではないんだけど、一度高い位置を取ると、自分の背中のスペースはヴォランチとCBに任せて、攻撃のスイッチを入れたままになる。当時のパウメイラスのヴォランチは、アトランタ五輪代表のアマラウとフラビオ・コンセイソンだったんだけど、そのリスクマネージメント能力は高かった。
ただ、やっぱり戻ってくるときの両ラテラウも迫力ある守備をしていたことも付け加えておくけど。
話を戻すけど、ジウトンは極端に守備能力が低かった。
それに対して、中田浩二と小笠原の2人では、彼の空ける大きなスペースのケアをすることになるとチームの背骨が抜けたような状態になってしまうわけで、小笠原は特にジウトンが上がることはあまり気にしないで前に出ていくことが多かったから尚更スペースを空ける場面が多かった。
残念ながら新井場は安定していたからこそ、左サイドの穴が非常に大きく感じたのは皆さんも同じだったと思う。
リーグで優勝を逃すと、天皇杯ではジウトンがメンバーから外れて宮崎が左に入った。
宮崎はDFラインに戻ってくる意識が高かったから、準決勝のFC東京戦で石川直宏を抑えた事や、決勝でも当時清水の藤本を封じたうえで効果的なオーバーラップを見せて貢献したのだけど、皮肉にもすでにレンタル移籍が決まっていた…。
そして、アレックスが加入し、新井場がここまで右に入るという布陣になっている。
右に西を獲得しているけれど、基本的にはアレックスを左でというのが基本路線だろう。
(この記事を書いている当日、アレックスは負傷退場してしまい、次の試合以降新井場が左にはいるかもしれないが…)
横浜FM戦での1失点目の決定的なパスミスはいただけなかったし、失点に絡んだのも事実なんだけど、ジウトンよりは守備能力は高いと自分では思っている。また、アレックスは日本でのプレーが長いため、日本語でのコミュニケーションが取れる。これは大きい。
今回の鹿島の補強でいえば、田代が山形からのレンタルバックでの復帰というメリットを活かしたいだろうし、そうするとクロスを上げられる選手が必要となる。
新井場は右ききの選手であるし、左利きの選手は必要なのは理解ができるし。
実際に両サイドバックが作った裏のスペースを狙ってくるチームは多い。
ゼロックススーパーカップの名古屋戦、Jリーグの大宮戦、横浜FM戦、ACLの水原戦をスタジアムで観戦して思ったのは、大きくスペースを作ってしまう原因の一つが相手が引いてしまうことにあると思っている。
引かれてしまう相手に対して枚数をかけてゴールを目指せば、通常のオーバーラップよりも大きなスペースができる。
そういったリスクを背負っているのにも関わらず、引かれた相手を崩しきれずにボールを失い、カウンターというケースが非常に多い。
ブロックの中に入れずにボールを失い、ぽっかりと空いたスペースからカウンターを食らう…横浜FM戦では試合後の木村和司監督のインタビューで、
『なりふり構わず勝ちに行った』
というコメントもあったように、そういった両ラテラウを含めたポゼッションの盲点からできた大きな穴を突くといった決してきれいではない戦術にはめられているのではないだろうか?
両ラテラウの作る裏の大きなスペースを突かれる原因としては、
・ボールロストの仕方が非常に悪いということ
・ボールを失うことのリスクマネージメントが、現在の青木と小笠原の中では機能していないこと
対策としては、
・ラテラウのオーバーラップを控える
・リスクマネージメントを現在の布陣で考える、あるいはリスクマネージメントのできる選手と入れ替える
・システムを変える
という感じか?
個人的には、攻撃は最大の防御ということで、ボールを失わずにゴールを目指し続けることができれば理想なので、ラテラウを両サイドいっぱいに開かせてワイドにポゼッションし続けて穴を作り、崩し続けるスタイルを求めてほしいと思うが…。
ラテラウが原因でのピンチだけでなく、大宮戦ではラインを割ったか割らないかという微妙なところでプレーを止めて失点しているし、ACLの水原戦と大宮戦で決められたFKは壁の作り方と曽ヶ端の立ち位置のミスという全く同じミス。また、横浜FM戦でのセットプレーでの失点も集中力の欠如の感は否めないので、そういった事の修正のほうが優先順位が上であることは間違いない。
こんな感じでよろしかったでしょうか?
また、僕はスタッフでもありませんし、こういったことを書くことでチームや関係者に届くわけでもありません。
ブログで思うことを書いているだけですので、その点はご容赦ください。
長文になりましたがコメントを頂いた件に関して、記事とさせていただきました。
2011年03月10日
厳しい現実
新しく指導するチームを探すにしても、やはりなかなか条件がいい話というのは無いもので…
いつも偉そうなことを言っているので、こういう時こそ厳しい現実と戦うスピリットが大事だと再認識…。
2011年02月07日
75センターボ
日本は当時バブルがはじけた直後とはいえ、今よりずーっと景気が良かったから、何百人もブラジルサッカー留学に行ってた時代。
当時のレートは1REAL100円ぐらい。1ドルが89円から100円の間だったかな?
現地では当時の斡旋業者から、1か月50ドルの小遣いが出てた。
だいたい手数料とかを引かれると45REALぐらいになっちゃうんだけど、それ以外に日本から持っていったお金は緊急時の為に用意していた(実際に僕は歯医者にかかったんだけど、これが驚くほど高額だった!)。
その45REALぐらいをやりくりするんだけど、これが今思うと泣けてくるぐらい質素に生活してた。
まあ、寝るところと食べるのは保証されてたから、そういう意味では安心だったんだけどね。
時々街に散歩に行ってコーラとかブラジルでポピュラーなグァラナとかを飲んだりするのにだいたい55センターボ(10センターボが0.1REAL)。使いまわす瓶に入ったやつだから、缶のやつより割安なわけ。それにハンバーガーとかを頼むんだけど、X-saladaっていうトマトとかレタスが入ったハンバーガーが1.5REALぐらいで。
だいたいオフが月曜日でさ、夕食食べてしばらくしてから何となく他の留学生たちと出て行ってさ、週に1度だけの贅沢がそんなハンバーガーとコーラだったりしてね。
プロサッカー選手を目指してブラジルに行ってたわけだからこそ、食事とかにも気を使うんだけど、その週に1回のハンバーガーが楽しみでね…コーラなんかもその時ぐらいしか飲まなくて、それが美味かったな…。
そう、そのオフの月曜日にはよくスーパーとか市場に買い物に行ってた。
果物とかをまとめて買うんだけど、オレンジが1キロ40センターボとかだったかな?まあいつも変動するし、どこの店のほうが安いかな?とかリサーチしたりしてね(笑)
そこで忘れられないのが、75センターボとかで売ってたNessleのNEGRESCOっていうナビスコのオレオみたいなクッキー。

最近、某100円ショップとかで売られてるんだけど、懐かしかったね。
月曜日にそれを買って、1日1枚か2枚食べるの。
1週間かけて全部食べる…それが贅沢だったり(笑)
日本だったら考えられないよね?
小学生のおやつだとしたら、それ全部食べちゃうでしょ?それを1週間かけて食べる…笑っちゃうよね。
でもね、そんなことが素直に嬉しかったりしたんだよ。
前回の記事でも『心を育てる』って書いたけど、恵まれた日本人は心が貧しくなってしまったのかもしれない。
日本から離れてだいぶ経って、お世話になってた日本人の方が、サンパウロで買った日本のカップラーメンを持ってきてくれたんだけど、本当に嬉しかったのを覚えてる。
もちろん、プロサッカー選手を目指す者が毎日そんなものを食べてちゃいけないと思うよ。
ただ、そのたった1回の出来事に対して、素直に感動できたのは、そういった現地の貨幣価値、金銭感覚を知ることができたから得られた事だと思う。
某100円ショップで前述のNEGRESCOを見つけて買ってきて、気が付いたら全部食べてたんだけど、100円で買った物を数分で食べきってしまうのと、75センターボで買った物を1週間かけて食べるのと…どちらが価値があるんだろう?って。
数日前に元プロサッカー選手が、テレビの番組でバブル期の金銭感覚を話してた。
適正な年俸とは決して言えないとはいえ、自分の足で稼いだお金をどう使おうと文句は言えない。
ただね、僕は指導の仕事だったりこういったブログとかを通じて、ブラジルで得た経験から伝えたいのは、夢のあるプロサッカー選手やそれに関わる仕事だからこそ、正しい金銭感覚だったり、人に対しての思いやりとか、感謝する事とか、心を豊かにする必要があるんじゃないか?ってことなんだよね。
言うまでもなく、まだまだ日本の選手は技術も心も世界のトップクラスには及ばないわけなんだから。
日本という国も世界的に見たら経済大国ではあるけれども、政界、財界、スポーツ界に揺らぎがある原因は、日本全体の心の貧しさが招いたと言っても過言ではないよね。
くどいし、こじつけに思われてしまうかもしれないけれど…サッカーの指導に携わる自分としては、サッカーの指導者の仕事はサッカーを通じて何かを学ばせる、心を豊かにすることが最大の仕事なんじゃないか?と思っている。
全国大会の優勝?確かに努力しなくては達成されないことではあるけれど、それが最大の目的になってしまっては元も子もない。
個人的に…仕事に関しては不安定で、夢を与える仕事のはずなのにそれに見合うだけの収入は得られないけれど、いつか市民権を得られる職業にしていけるように…
今も歯を食いしばっていけるのは、75センターボのNEGRESCOのおかげだと思っている。
2011年01月27日
心を育てる
指導も内容はともかくとして、多様化してきた傾向がある。そんな中で、どうしてもサッカーを教えるということしかピックアップできず、心を育てることができていないような気がしてならない。
『上手くなりたい』
『プロサッカー選手になりたい』
子供故の欲求は決して否定しないし、むしろ重要なものと考えるが、指導者や保護者を含めてサッカーを通じて『心を育てる』ことに改めて取り組むことが大事であろう。
指導者の側からしたら、チームが勝利することや技術のある選手を育てる事が、地位や名声を得るための近道であると考えてしまう傾向は否定できない。
実際に試合に勝つことでチームの評判は上がる。
仮にJリーガーが育ったクラブということになればそれも評判につながる。
そこで考えなくてはならないのが指導者の質になってしまうと思うのだけど。
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最近小学生を教えるようになって気になっているのは言葉使いだ。
心の乱れが露骨に表れるのが言葉使い。
言ってはいけない子を注意することが増えたのは間違いない。
保護者や指導者が心を指導することを忘れてはならない。
しかし、何故か表面上の試合の勝ち負けに代表される、成果主義に偏ってしまい、心の指導を疎かにしてしまっている傾向が非常に強いのは間違いない。
人の残念な面として、少し周りより恵まれると、どうしても周りを下に見てしまう傾向がある。
子供の世界では時に、大人の世界よりも残酷なこともある。
上手い奴が絶対だし、同い年の中でも上下関係が出来上がる…ドラえもんでいう、ジャイアン、スネ夫、のび太の関係と言えばわかりやすいだろうか?
時にその関係が逆転することもあるし、大人がそういう関係に入ってはいけないこともあるんだけど、そこで問われてくるのはそういった人間関係を指導者が把握して、時に心の指導をしていくか?だと思うんだよね。
実際に自分が接した人の中でも、たまたま優越感を得られる地位を得た途端に上から目線になってしまう人がいた。それは誰にでも経験があるかもしれないけど、場合によっては非常に恥ずかしいことになる。
子供のうちに大人(この場合は指導者や保護者)が、そういう天狗になりそうな時に鼻を折ってやることが非常に重要じゃないか?それは指導者の器が問われてくるのはおわかりだと思うんだけど、実際にそういったケアができる指導者が少なすぎるのも残念な現状なんだよね。
逆に指導者が天狗になっちゃって、それが選手に伝染する例もある。
過去、ある指導者に挨拶したときに目も合わせてくれなくて、返ってくる言葉は丁寧なんだけど、むしろ『あっちいけよ』ってオーラを出された時があって凄く残念だったことがある。
でも今思えば、そういう指導者の器の小ささじゃ、選手の器を大きくできないんじゃないか?って思うし。
反面教師的な指導者はさすがに必要ないと思うし、今問われているのはその『心を育てる』ことのできる指導者を増やすことだと思う。
また、選手にとって一番身近な指導者は保護者だ。
躾でつまづいてしまってはさすがにサッカーどころではなくなってしまう。
日本において『心の貧しさ』が問われている。
指導の現場においての指導者の器の大きさの必要性をクローズアップしたが、社会の大人の心の貧しさを含めて、改めてサッカーから『心を育てる』ということに取り組んでいけないか?と考える次第だ。
2011年01月08日
高校サッカーを育成の場とするならば
一時期に比べると更新の頻度がかなり減りました。言葉を選ぶ事や批判的な事を書くことで誤解を招くことは、場合によっては言葉の暴力になりかねない為…ネタはあっても書けないことがありました。それでもたまには更新していきますので、時々覗いてみて下さい。
さて、正月は高校選手権。ひとつの風物詩にもなっているのだが、日本のサッカー界の育成する環境として、どうしても引っ掛かることがある。
テレビで特番や試合を見ていると、明らかに過剰な演出に終始してる。例えば今年は何故か『走る』ことを強調し過ぎている気がするのは僕だけかな?
確かに走る事もサッカーの重要な要素ではあるんだけど、その『走る』の質が、苦しくても頑張って走るとか、ガムシャラに走りきるとか、そういったレベルの『走る』という事を強調しちゃってる気がするんだよね。
多分指導者の方々も、走るに関してそういった走りの質を要求してないだろうけど、今回の高校サッカー選手権関係の番組や試合を見ていると、『青春の1ページに流す汗』を演出する為に、そういったシーンを放送してる様に思う。
僕は負荷のかかる厳しい走り込みのトレーニングは否定しないよ。だって精神的にも肉体的にも追い込むことは必要だと思うから。
でも、育成のことを考えたら、もっと指摘しなきゃいけない事があるじゃない?実際、海外の高校生年代での育成と比べてどうなのか?とかって検証するような番組があったっていいじゃない?
やっぱりねぇ…番組を作る人がサッカーを見る力が無いと、番組の内容も『青春の1ページ』を紹介するだけで終わってしまう。
そちらのほうが視聴率を取れるって見方もあるだろうけど、やっぱり僕は日本のサッカーの為にも、現在のような高校サッカーの放送には抵抗があるな。
マスコミの功罪は大きいよ。高校サッカー選手権大会がサッカーをやる上での最大の目標になってしまう傾向はまだまだ続いている。
18歳がサッカーの終着点じゃないよね?むしろ育成を考えたらサッカーが面白くなっていくのはその先の話。色々な人生観があるから否定的な意見で偏ってはいけないだろうけど、高校サッカーでひとつの夢が破れた後に、次の夢をサッカーで得たもの、精神力とか協調性とかを次のステップで活かしつつ、アフター5や休日にサッカーを楽しむ…そういう選手を増やさないとね。
僕はそういう意味では軽々しく『引退』って言葉は使って欲しくないし、高校サッカーよりも先に目を向けた環境づくりを進めていく必要があると考える。
本当は、地元の社会人リーグの放送とかがローカル局であったほうが面白いよね。そこからアフター5で頑張る社会人を追いかける方が社会が活性化するんじゃないか?って思うもん。
高校野球で郷土の代表を応援するってところからマスコミが高校のスポーツ、全国大会を取り上げるようになったんだろうけど、ちょっと間違った方向に進んじゃってる気がしてならない。
サッカーは他のスポーツよりも先に日本リーグを作ったり、日本のスポーツ界に影響を与えてきたからこそ、育成年代での改革でもリーダーシップをとっていっていかなくては行けないと思っている。
だからこそ、マスコミに対しての何らかのアプローチをしていかなくてはならないよね。
2010年11月22日
U-18世代なのに
『レベルは年々上がっている』
そんなコメントが実況や解説からも聞こえるが、はたして本当なのだろうか?
まあ、さすがに厳しい意見を言ってしまうと視聴者も離れてしまうし、否定的なコメントはできないのだろうが…それを考慮しても、ちょっと疑問を持ってしまう。
さて、個人の技術レベルとして、ドリブルの技術は一見上がっているように思える。
足先だけの技術というか、ボールフィーリングは向上してるように見えるよね。
実際、ボールを扱うことは上達したのかもしれない。
しかし、フィジカル面やコーディネーション、ボディバランスに関しては、海外のU-18世代と比べると残念に思えてしまう。Jクラブのアカデミーに選手が流れているのを差し引いたとしても、ちょっと残念なんだよね。
また、DFの選手、特にCBの選手に身長がある選手は増えたけれど、どうも線が細い。
180cmぐらいの選手は当たり前になったけれど、ちょっとひょろっとした選手が多い気がする。
『それは育成年代だからこれからまだまだ…』
そんな言葉では逃げられないんじゃないかな?
だって海外では18歳でプロの試合に出てる選手なんか当たり前のようにたくさんいるし、日本でもJリーグで高校生Jリーガーは当たり前になってきたでしょ?
また、気になったのはボールを奪う技術が低いこと。
ボールを少しキープできる選手に対してボールを奪うことができない。だからファウルで止めてしまう、いや、結果としてファウルになってしまう場面の多いこと!
激しくボールを奪いに行くのはいいとして、結果ほとんどがファウルになってる。
もちろん審判のレベルの問題もあるのかもしれないけど、大半はボールを奪う技術がなくて、ファウルになってる場合が多い。
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そして、チームとしての問題。
ロングボールからの展開からセカンドボールを拾い、サイドに展開、またはドリブラーが仕掛ける…そういう青写真を否定はしない。
トーナメント形式の大会だから、どうしてもリスクを犯さずにロングボールやクリアが多くなってしまうのは目をつぶるとしても、ドリブラーをファウルで止める場面が多いからこそ生まれるセットプレーからの得点を狙うパターンは、育成年代としてどうなのか?
実際僕がテレビで見た試合のほとんどでエリア付近での選択肢がなく、孤立した選手がドリブルで突破を試みる場面が目立っていた。
とにかくエリア付近でグループで崩す選択肢があまりにも少ない…選手を育てるにしても、グループでの選択肢を持っていない選手が多いのは育成としてどうなのか?と思ってしまう。
いい意味で冒険してないっていうかな…チャレンジするっていうのは1対1で仕掛けることだけでなく、グループで仕掛けることの面白さもあると思うんだよね。
確かにエゴイストは必要だと思うけど、それはエリアに侵入した後に生きる事であって、エリアに侵入する手段の中でドリブルしか選択肢がないって、結果として自分も生きなくなるっていう事を知らなすぎる選手が多いんじゃないかな。で、結果としてエリア内に侵入した後にパスしちゃったりね(苦笑)
いやいや、それが育成年代として、U-12、大目に見てU-15までだったらいいとしても、U-18世代の全国大会出場を決めるような試合としては非常に残念だっていうのはご理解いただけると思う。
色々言い出したら指導の思想の問題とか、社会的事情も出てくるからキリが無いんだけど…サッカーの視点からすると本当に残念でならない。
学校教育の中でスポーツを教えるにしても、進学する際にある程度選手を集めるという事情があるのはわかっているからこそ、それなりのサッカーの内容は問われてくるんじゃないか?
『いやいや…それ以前にU-15以前の問題が…』
そういう風に言い出したらきりがないのでこの辺で…
2010年11月19日
子供らしさを潰すな!
最近思うけど、実際にこのブログに共感されている方からコメントやメールを戴いて嬉しい半面、どんなにブログ上で正論をつぶやいていても、実際に自分自身が力をつけないことにはFUTEBOL(サッカー)で飯を食っていけないので、理想と現実との戦いであることはご想像の通り。お許しいただければと思います。
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さて、そんな毎日なのだが、時間があって気が向いたらなるべくサッカーの現場に出て行くようにしている。最近ではJリーグだけではなく、高校、中学、そして少年サッカーの試合を見る機会があった。
指導の現場にも立っているわけだけど、中立的な立場で試合を見る中で、印象的だったのは小学生の試合。
あれほど大人のエゴに支配されているカテゴリはないよね(苦笑)
試合前に会場に到着すると本部に挨拶に来る選手たち。
そこまではしっかりと挨拶しているし、一見お行儀がいいと思われるだろう。
確かに日本的発想、学校教育や躾(しつけ)っていうレベルだったら、最低レベルはクリアしていると思う。それは否定しないし、むしろ必要なことだと思う。
でも気になったのは、どのチームもみんな同じ挨拶の仕方。明らかにセリフや形式を指導者をはじめとする大人に刷り込まれてるんだよね。うん、刷り込まれてるだけ。
『○○○(クラブ、チーム名)です。今日も一日よろしくお願いします!』
って、ほとんどのチーム、キャプテンが同じ挨拶をしてる。それじゃあ選手としても、チームとしても他より抜け出せないんじゃないか?って思ったんだよね。
指導において大事なことは、『何故挨拶が必要なのか?』ということを考えさせることじゃないかな?本部ではそうやって挨拶してるけど、その本部以外で挨拶してる選手なんかほとんどいないよ(苦笑)むしろ、『知らない人には着いていっちゃいけません』のレベルで、他のチームの保護者には違う意味で警戒しっぱなしで、全く目も合わせようとしかなかったり。
脱線しそうなので本題。
実は指導者がそういうところでも個性をつぶしちゃってるんだよ。
挨拶一つにしても型にはめちゃってる。
例えば試合と試合の合間にピッチの脇ではしゃいでたりすると、『あのチームはマナーが悪い』って評価になっちゃったりするんだろうけど、少年期だったら遊びたくなるのが普通でしょ?大事なのはそういう時に大人、指導者がどう対応するかなんだけど、ほとんどの指導者が頭ごなしに怒っちゃうからそこで急に力づくでおとなしくさせちゃう光景は想像がつくでしょ?
考えさせて、学ばせる。時には幼少期に失敗させることも大事じゃない?
物を壊すこともそうだし、他人に迷惑をかける事もあるでしょう。でも、そういう失敗は幼少期にすることで大人になるんじゃないかな?失敗する前にガツンと怒っちゃったら学べないこともたくさんあるし、個性まで潰しちゃう恐れがある。
怒られるから挑戦しない。
気が付いたら指導者の顔色をうかがう選手には、大胆さがかけるのは想像がつくでしょ?
皮肉にもね、『あのチームはマナーが悪い…』って言われてたチームが、試合では大胆なプレーを見せてた。
もちろん手放しには褒められないんだけどね…その理由に関してはまた機会があった時に。
2010年09月29日
クラブW杯出場の原動力?
動画で見ても凄い迫力!
っていうか、粋なサポートだし、こういうサポートは間違いなく選手の背中を押してくれるはず。
実はMamonasは人気絶頂の最中、乗っていた国内線が墜落して、全員亡くなってしまったって経緯があるんだけど、そういったエピソードも踏まえて、ブラジル国内では伝説のコミックバンドになってる。今でも愛されてる曲を替え歌にして好きなクラブの応援にするなんてかっこいいじゃない!
特に特定のクラブをサポートしてる皆さんだけでなく、ゴール裏で暴れたいみなさんにはお勧めの映像だと思います。
っていうか、僕の大嫌いなボカとの対戦の時の映像みたいだね(笑)
※ちなみに僕はインテルナシオナルのサポーターではありませんが…

http://www.youtube.com/watch?v=RRt2hPSzG_Q
http://www.youtube.com/watch?v=rmMj8UC5Mig
2010年09月09日
やっぱり甘やかす必要はない
海外では年齢に関わらず一緒にボールを蹴って楽しむ。ブラジルでは子供もお腹の出たおじさんも一緒に蹴る場面はよく見られるのはご存知の通り。
日本で似たような場面があると、大人は子供に対して手を抜く。わざとゴールを決めさせて拍手する場面まである。
実際、大人同士でボールを蹴る時も、何故か局面で手を抜く。ボールを奪われたり、ミスをしてもボールを追いかけなかったり。
しまいには『昔は走れた』『若い人にはかなわない』とか、すごく後ろ向き。そしてベンチで見ていて『交代!』なんて声がかかると、『え〜、走れないからいいよ〜』なんて平気で言う。お前ボール蹴りに来たんじゃないのかよ?って突っ込みたくなるけど(笑)
草サッカー、最近ではフットサルなんかでも蹴る環境があるのに、もったいないなって本気で思うよ。前述の子供相手にだって結局甘やかすし、自分にも甘いんだよね。その場所にいるだけで満足しちゃうっていうか。
ブラジルで草サッカーをやるとよくあるのが、一生懸命ボールを追った結果、うまくいかなかった時に変な言い訳をするの。
『○年前だったらできた』
とかね(笑)
そしてもっと笑えるのは、明らかに昔大きく擦りむいたような痕を指差して、
『俺は昔○○○(クラブ名)から誘われてた。でもこの怪我、手術したことでできなかった…』
ってバレバレの嘘を真顔で言ったり(爆)
横道に逸れたけど、そんなやりとりをして笑わせてくれるけど、ブラジルの草サッカーでは手を抜く奴なんかいない。そんな中で混ざる子供達が大人の中のプレッシャーから育ってくる。
大半の子供は、成長して大人になっても夢叶わずプロ選手にはなれないかもしれないけど、そんな環境では手を抜く大人にはならないよね。
今の日本の草サッカーの環境じゃ、いい選手は育って来ない。
大人は手を抜くことを子供に教えちゃいけないし、ある意味子供以上に大人が真剣にやることを伝えていくべきだと思うな。
近所の体育館でボールを蹴った時にそんな事を思ってすごく残念だった。
結局、サッカーの本当の楽しさを知らないんだよね。
草サッカーのレベルが上がれば間違いなく日本は強くなるよ。それは言い切れる。
2010年08月22日
フットサルを育成に活かせているか?
日本ではフットサルを有効に育成に活かしているとは言えない。
むしろ育成にフットサルは不要という残念な考え方をしてしまう指導者がまだまだ多い。
自分はU-18世代の指導をメインにしているが、やはりその選手が育ってくる15~6歳までにしっかりと指導されていない選手がほとんど。
選手がフットサルに携わっていればなぁと感じる事は非常に多い。
ただ、優先順位がサッカー>フットサルだから、どうしてもサッカーの影響力が強くて、フットサルはレクリエーション、遊びになってしまう例がほとんど。手軽に楽しむのは非常にいいことなんだけど、その中でしっかりと指導できる人がいたらいいのになと感じる。
フットサルをプレーすることでのボールコントロールの向上はクローズアップされるけれども、それだけではなく個人戦術的なことをもっとフットサルの指導の中で行うことが重要ではないかと感じている。
特にボールのない時のマリーシア。例えば相手の視野から消える動きだったり背後を取ることをもっと教えられるはずなんだけど、今日本の若年層で一番足りないのはそういうところなのにほとんど無視されているんじゃないか?とさえ思う。
全日本少年サッカー大会もテレビでしか見られなかったけど、結局ドリブラーとかしかクローズアップされていなかった。体が小さい選手、スピードのない選手とかがプレーを優位にする工夫はほとんど見られず、非常に残念だった。
面白い現象なんだけど、日本のサッカー界ってオフサイドに対して過剰に反応しすぎると思う。
特にオフサイドにかかるFWに対して少年サッカーから『なんでラインを見ないんだ!』とかって怒鳴ってる指導者が昔から多いよね。タイミングの問題もあるからパスを出すほうの問題もあるはずなのに、そちらはあまり注意されないのに。そんな状況だからFWの選手はDFの背後のスペースに飛び出さなくなる。
更にサッカーからフットサルに大人になって流れてきた選手は、面白いぐらいに裏に飛び出さない傾向がある。オフサイドが無いのに全然裏を取らないんだもん!裏を取ったとしても工夫がないから守備をするにも怖くない。結局は競技フットサルでも刷り込みのパターン練習で結果として裏を取れることがあるぐらいで、個人戦術のレベルとしてオフ・ザ・ボールと呼ばれるボールが無い時の個人戦術は驚くほど低いのが現状。競技フットサルの現場でもそうなんだから非常に残念でもある。
ブラジルの草サッカーだったりアマチュアの大会とかでも、ボールを止める、蹴るの技術はそんなに高くなくても、オフ・ザ・ボールの工夫っていうかマリーシアには驚かされる。マークしてても本当に消える感じでいなくなるから!その瞬間にわずかなスペースを作ってボールをもらうわけ。特に遊びでもフットサルとかをやってると、日本では考えられないぐらい質が高かったりする。
そういう駆け引きを覚えるためにもフットサルを育成に活かしてほしいと思うんだけど。
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ちょっと横道にそれるけど、フットサルの日本リーグであるFリーグでプレーしてる選手も、サッカーからの転身組がほとんどだよね。
まだ4シーズン目だし何とも言えないけれど、僕はFリーグのアカデミー(下部組織)から、本当に質の高い選手を育成していくことが必要だと思っている。
実際アカデミーが本気でFリーガーを育成できるのはいつになるだろうか?
また、U-15ぐらいまではFリーグのアカデミーとかでプレーしてた選手が、U-18からサッカーに転身するような流れも望ましいことだと思うし、サッカーのクラブが提携して、質の高いフットボーラーを育成していくこと必要だと思っている。
有名なところだと、80年代にブラジル代表として活躍したジュニオールは、フラメンゴのフットサル部門から転身した選手で、後にジーコと一緒にサッカー部門でプレーのキャリアをスタートしているし、カカもサンパウロFCのフットサル部門からサッカーに転向しているのは有名。映画『GINGA(ジンガ)』で、ホビーニョも地元のクラブでフットサルから育ってきた選手であることが紹介されている。
狭いスペースでのボールコントロールとか判断の速さを養うってフットサルの指導では言われるけれど、それだけじゃなくて学ぶことは多いはず。
そういうメリットを理解すること、勉強することが若年層の指導に役立つと信じている。
2010年06月30日
感動をありがとうは93年で終わり
内容はきれいなものではなかったけれど、W杯常連のパラグアイ相手に本当に『やりあった』と思う。
『やりあった』という表現には賛否両論あるかもしれないけれど、スコアが0-0だからノーガードの打ち合いでもなかったし、延長戦なんかは明らかな日本の時間帯もあって、パラグアイも『やられるかもしれない』という恐怖感を持ったと思う。
終了間際にパラグアイベンチ前でボールパーソンがモタモタした時、パラグアイのベンチの焦りようも凄かったよね。パラグアイも本気だったのは間違いない。
PK戦の際のキッカーの駆け引きなんかも、精神的に上回ろうと『やりあった』よね。
本田がPKを決めた後に『決めて当然』って表情をしたのも、パラグアイの選手が駒野が外した後に『決めて当然』って顔をしたからやりかえしたって感じ。本田は明らかに海外での経験を活かした。中田英寿とは違った面でも。
でも、結果はPK戦とはいえ敗退した。それは事実だから。
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93年のドーハの悲劇の際、日本中が『感動をありがとう』と出迎えた。
W杯にも出場できなかったのに、『感動を…』って抵抗もあるけれど、今思えば日本の当時のレベルは、選手もマスコミもその程度だったってことでしょ?
97年、フランスW杯の出場権を得た時はお祭り騒ぎ。98年の本大会は『出場することに意義がある』みたいな空気もあった。しかし、空港で選手に水をかけた人が現れた…今思えば、その人って本気で日本に勝って欲しかった、愛情のある人だったのかもしれないね。
02年、自国開催のアドバンテージもあってベスト16に進出した。
W杯で勝つ喜びを知ったけれど、アドバンテージ以上のものを決勝トーナメントで知った。
06年、現実を見た。
98年に対戦して敗れたクロアチアと引き分け、1分2敗。でも、アウェーのW杯で勝つことのむずかしさや、日本の甘さを色々と思い知らされた重要なターニングポイントだった。
そして今回。
オシム氏が率いた代表でアジアカップでシード権を失い、今まで真剣勝負のできたコンフェデ杯の出場権を失ったり、アジアカップ予選を戦わなくてはいけなくなった。
オシム氏が倒れ、岡田監督に。
志向しているサッカーや、不可解な選手選考、マスコミも世論も解任論を訴えた。
その逆境に耐えて、120%の力を出した結果が今回のベスト16だと思う。
僕は岡田監督を支持しない。
やはりそれまでの過程からも評価するのは違うと思うから。
ただ、結果は出した。
『代表は結果がすべて』
そういう意見は否定しないけれど、この先の日本の戦うスタイルを考えたら、決して肯定したいスタイルではなかったからね。
やっぱり高校サッカーの国なんだよね。
『最後の大会、選手権』
そういうシチュエーションでは、もの凄いプラスアルファの力が発揮できる。
でも、コンスタントに力を出せるわけじゃないのは、今までの経緯からも明らか。
デンマーク戦で強みであるFKでの得点があったけれど、試合で本当に必要なのはボールが流れている時間だからね。そういうスタイルをオシム氏も岡田監督も求めていたのに、現実、結果を出すために割り切った。
若年層はきっと、マスコミが騒ぐ『無回転FK』の練習をするよ。
本当はプレッシャーの中での止める、蹴るの技術と判断力を養うことのほうが重要なのに。
指導者はそういった分析をして、選手を育てていかないといけないよね。
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日本のサッカー界は成長したんだよ。
でも、やっと海外からは『アジアからは日本が出てくるね』ってところから、『お、戦えるじゃん』ってインパクトを与えたって感じかな。
『感動をありがとう』っていうのは93年で終わりだよ。
2010年は、本当に『世界で勝つために』って討論できる機会にしようよ。
そういえば、長谷部と本田の2人は、本当に世界で戦っている選手だってインタビューの受け答えでも感じたね。
当面はアジアの選手がJリーグのクラブのアジア枠1を目指すような、魅力あるJリーグを作っていくのが一つの課題じゃないかな。
アジアの選手はJリーグを目指す。Jの選手は本当の意味での『海外組』を目指す。矛盾しないでしょ?
理想論だけど、日本のサッカーを強くするためには、若年層からJリーグまで…指導者だけじゃなくてマスコミや関係者、真剣に『日本のサッカーを変える』って考える機会にしないとね、2010年を。
2010年06月21日
本当の厳しさ
スコアは0-1だから、『よくやった』とか『惜敗』っていう世論は本当にぬるま湯。
本当の厳しさはまだまだ日本にはないと感じたね。
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それで育成カテゴリの記事にしたわけなんだけど、やはり日本で言う厳しさっていうのは本当の厳しさじゃないんだよね。
例えば日本の学校教育でいう厳しい先生っていうのは、いわゆる『恐怖政権』をつくる先生のことになる。
一見厳しく見える『恐怖政権』。自分にも経験はあるけれど、学校教育における恐怖政権は、実は過保護でしかない。
『先生に怒られないためには…』
大半の生徒はそのような考え方になる。
それが全てとは言えないけれど、基本的にはその指導者の前ではおとなしくなるし、一見良く指導されているように見える。
でも、本当の厳しさというのはそういうものではないと思う。
社会の厳しさ、理不尽さはそういう恐怖政権の厳しさだけではない。
個人的にそれを実感したのは、やはりブラジルでの出来事。
95年の4月末から1ヶ月間ほど、初めてブラジルに観光ヴィザで入国し、某クラブの練習に参加した。
そして95年の9月に、留学ヴィザを取得して再びブラジルへ。9月は他のクラブで練習したが、10月に元のクラブへ行ってみると状況が変わっていた。
まず、FWのレギュラーだった選手の一人の姿が見えなかった。
他の選手に尋ねてみると、『彼は力がなかったからクビになった』という。
いやいや…決して力がなかったわけではない。
ただ、そのクビになった選手は75年生まれ。76年生まれの他の同ポジションの選手のほうが伸びしろがあると判断されたのだろう。
他にもその数カ月でポジションが変わったり、レギュラーだった選手が控えになったり、知らない選手も数名いたり…状況は変わっていたんだけど、それが現実の厳しさだって思い知った。
そんな中で自分も75年生まれ。しかも日本人だからって思った時には遅かったね。
『以前とは違う。お金をくれるなら練習に参加してもいいけど、ダメなら練習に参加させるわけにはいかない…』
その言葉をコーチから聞いて、厳しい現実を知った。
でも、社会の厳しさ、ブラジル、世界のプロサッカー選手を目指す環境の厳しさっていうものはそういうものなんだよね。
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今回の南アフリカW杯での日本代表。
カメルーンに勝ったことでとりあえず、世論は『もしかしたらいけるんじゃないか?』という空気になった。
そしてオランダに0-1という結果だけを見て、『デンマークと引き分け以上で決勝トーナメント進出』という報道が楽観的に流れている。
前回の記事にも書いたけれど、結果だけを追及するW杯として、デンマークと引き分けることは十分可能だと思うし、きっと引き分け狙いで十分という戦い方をすると思う。
ただ…次回のブラジルW杯を目指す日本代表は、何を収穫として次のステップへ進むのかね?
『日本人らしさ』の答えがこのサッカーなのか?
そうだとしたら未来は非常に厳しいものになる。
次の代表監督はブラジルW杯に出場するだけじゃなくて、アジアで圧倒的な力を見せて勝ちあがることができるか?
うーん…どうだろうね?
現在のU-18ぐらいの選手で、実際に世界で戦える選手が5人ぐらい育っていたら、その選手を軸に育成できる外国人監督をって思うけど、現状は若年層の育成に外国人指導者、もしくは外国でそれなりの指導を学んできた指導者が各地域で時間をかけて選手を育てていかないと、要するに根本的な環境の具体的な改革をしない限りはずーっとその場しのぎのW杯が続いてしまうんだろうね。
アジアはなんとか勝ちぬけても、カメルーン戦みたいな勝ち方を狙う戦い方しか本大会でできなくなるってことは、本当に勘弁してもらいたい。
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育成の環境も含めて、本当の厳しさを追及していかなくてはいけないよね。
U‐15世代なんかは、クラブや部活等の選択肢が増えたことで、十分本当の厳しさを求めていく環境は作れる気がする。
例えば、力のあるものしか生き残れないようなクラブができてきてもいいのにね。
こぼれた選手もある程度受け入れられる環境は十分にできているんだもん。それだけチーム数はあるんだからね。
某Jクラブのアカデミーは、U-15のカテゴリーだけで100人ぐらい抱えてたりするけど、U-18にステップアップするときに各学年で10名ぐらいに絞るんじゃなくて、初めから全体で25人ぐらいの枠にして、随時入れ替えしていったほうがよっぽど競争意識は高まるはずだし、本当の厳しさを教える事に繋がると思う。
現実を知ってその道を諦めるだけじゃなくて、その厳しさを受け止めてさらに努力して這い上がることも大いに結構。
ただ、現状のU-18世代のJクラブのアカデミーの敗者復活みたいな高校サッカーのような環境じゃなくて、同じ環境をU-15ぐらいに作っていかないといけないと思うんだよね。
学歴社会、資格社会。
実際に学歴、資格のある者が出世していくのだけれど、その学歴、資格に関してもそれなりのハードル、厳しさがあるからこそ価値があるんだよね?
現状の学歴、資格に関してどうこう言うのはやめておくけれど、それ以外の現実の厳しさを知るために…冒頭の『恐怖政権』ではない、本当の厳しさを伝えられる指導者の質は問われてくるし、そういう指導者を育てるのも日本の課題だと思うな。



