2009年12月25日
運転手

久しぶりに思い出話を。
サントスFCのバスの運転手は日系人の方。
95年の4月にブラジルに初めて行ったんだけど、まず初めにクラブの見学に行ったのがサントスFCだった。
で、たまたま日系人の運転手のKencho Noguchiさん(以下、尊敬をこめて運転手さん)とクラブですれ違った。
その後もサントス市内のクラブで練習をしてたので、よくサントスFCのバスとすれ違ってたりしてて、意味もなく練習してたチームの友達と手を振ったりしてたから(笑)、この運転手さんは僕の事を覚えていてくれた。
ある時、たまたまサントスのスタジアムの周りをうろうろしていたら、運転手さんが現れて、『ゲンキ?』と声をかけてくれたのが嬉しかったのを覚えている。
まだまだポルトガル語はわからない状態で、片言でも『ゲンキ?』って話しかけられたら嬉しいじゃない(笑)
それ以上の日本語での会話はできなかったんだけどね(爆)
その勢いで顔パス状態で、非公開だったサントスの練習を見るためにスタジアムに入れてくれたけど、練習が終わった直後だったのは残念だったな(笑)
で、サントスFCのサイトを見たら、1975年の1月から運転手さんはサントスで働いてたんだね。
僕が1975年の9月生まれだから、僕が生まれる前からサントスFCで働いてたことになる。
1944年生まれってプロフィールにあるから、来年は65歳になるんだね。
ちなみにアペリード(あだ名、通称)は
『Jorge Motorista』
まさしくミスター運転手って感じだね(笑)
近いうちにブラジルに行って、運転手さんとポルトガル語で会話してみたいね。
『ゲンキ?』って声をかけてくれて嬉しかったって、ポルトガル語で伝えたい。
そんな思い出話でした。
2009年09月30日
競争
ブラジルにはAMIZADE(アミザーヂ・友情)という言葉があるが、それはプロサッカー選手を志す生存競争の中において、特にピッチの中では取り去られてしまう。
もちろんピッチの外では、ブラジル人特有のAMIZADEが築かれているのだけど、さすがにピッチの中ではそうはいかない。
よく『日本人に対する差別やいじめ』という留学生の話があるけれど、実際は被害妄想であるんじゃないかと自分は感じた。
パスが回って来ないという話はあるけれど、それはブラジル人でも同じ事で、信頼が得られなければブラジル人選手にだってパスは回って来ない。
面白かったのは、紅白戦で自分になかなかパスが回って来なかったので紅白戦の合間に、『俺だってボールに触りたい!』とケンカ越しにカタコトの当時知っていたポルトガル語で主張したらパスが回ってきたこと(笑)
要は自分の存在をプレーで示すのもそうだけど、はっきりと主張できるかどうかが重要なんだと思った記憶がある。
もちろん主張ができてもプレーがダメなら生き残れないのは皆さんおわかりだと思うが、普通の日本人ならそのスタートの主張する事ができないということもご理解頂けると思う。
実際力のない日本人選手に対してチームメイトは、『voce joga bem!!(お前は上手い)』と社交辞令の言葉をピッチの外ではかけるんだけれど、それはまるで、
『儲かりまっか?』
『ぼちぼちでんなぁ〜』
のような決まり文句にさえ聞こえてくる。
そこでちょっと勘違いしてしまう日本人留学生もいたのは言うまでもなく…(苦笑)
横路に逸れたけど、僕がクラブと斡旋業者の問題で他のクラブに移ることになった時、
『このクラブは良くないから、お前がここを出ていくのは正解だ…』
なんて言われたんだけど、実際のところはそんな事は思っていないで、自分が生き残る為には日本人選手でさえもライバルが減っていく事に対して心の中でガッツポーズしていたんだろうと思う。
チームを強くするためにチームの団結を求めるのも大事なんだけど、個を育てるという面ではまだまだ日本の環境においての生存競争は甘すぎると言わざるを得ないだろう。
2009年05月28日
やりやすいチーム作り

Rio grande do sul 州の名門、グレミオの監督に、元鹿島アントラーズ監督で、2005年にはサンパウロFCでクラブW杯を制したパウロ・アウトゥオリ監督が就任した。
ブラジルではよくあることだけど、フィジカルコーチも鹿島で一緒に仕事をしていたオジバン(Gilvan Santos氏)を招聘している。
しかも選手には、鹿島を指揮した時に在籍していたアレックス・ミネイロとファビオ・サントスがいる。
もしかしたら、今サントスでプレーしているファボンを獲得しようと動いたりするんじゃないか?なんて思ったりする。
そうすると、鹿島でプレーしているダニーロにも?なんて考えちゃうよね。
元々ファボンとダニーロはパウロ・アウトゥオリ氏が獲得を熱望していた選手で、鹿島も獲得を決めたのに、監督とフロントの意見の相違から監督が退団したという経緯があったから。
まあ、日本代表監督の某氏が過去に自分の指導した選手を代表に招集していたことからも、仕事をしやすいっていうのはあるのかな。
2009年04月30日
サンチスタは諦めない

CampeonatoPaulista(サンパウロ州選手権)決勝で、コリンチャンスとのホームでの第1戦に1-3と敗れたサントス。
オフィシャルサイトにはこんな画像が掲げられてる。
Torcedor Santista sabe que para o Santos FC nada e impossivel.
サントスのサポーター達は、サントスFCに不可能ではないことを知っている、って感じかな。
サンチスタの僕としては本当に奇跡を起こして欲しい。
期待しているのは17歳のNeymar(ネイマール)

174cm、54kgと、プロ選手としては非常に細いですが、実際にサンパウロ州選手権では3得点をあげている。
DIEGO、ROBINHOに続く、サントスがヨーロッパへ送り出す大物になるだろうか?
コリンチャンスで復活を遂げたRonaldoの話題で持ちきりのブラジルサッカー界だが、やはり王国は新しいスター候補が続々と出現している。
2009年04月15日
Jameli
不況だって一言で言うけれど、やっぱりまだまだFUTEBOLで飯を喰っていくのは難しいと感じる今日この頃…
現実に負けないためにも、いつか社会的地位を築くためにも、FUTEBOL以外のスポットの仕事を空き時間に入れているという状況…。
口だけ番長にならないように、七転八倒している次第です。
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Jリーグに在籍したブラジル人選手の話題をというコメントを頂いたので、少々書こうと思う。
日本では柏と清水に在籍したジャメーリ。

清水ではパッとしなかったけれど、柏在籍時のエジウソンとのコンビは破壊力抜群だった。
僕が初めて見たジャメーリは、95年のサントス在籍時のCampeonatoPaulista(サンパウロ州選手権)でだった。
ジオバンニとのコンビで、サントスの攻撃の中心選手だった。
前述の柏でのエジウソンとのコンビ然り、サントスではジオバンニという例もあるように、典型的なかけ算の選手で、能力の高い選手と組み合うと非常に素晴らしい能力を発揮する選手だった。
96年のアトランタ五輪の南米予選ではブラジル五輪代表候補メンバーに入っていたが、RIVALDOとBEBETOがメンバーに入ってきたことで落選してしまったのだけれど、それだけ当時は活躍していた選手であったことは間違いない。
その後、プレーを映像では見ることができなかったが、スペインのサラゴサでは英雄的に祭り上げられるほどの活躍をしたらしい。
95~96当時のサントスFCは、当時サントス市に数ヶ月滞在していたこともあり、個人的にも思い出深いチームだ。
ジャメーリをはじめ、ジオバンニ、マセード、マルセーロ・パッソス、カマンドゥカイア、ホベルチ、マルコス・アドリアーノ、ナルシーゾ、エジーニョ、そして現在湘南に在籍しているジャーンは、95年当時17歳でトップの試合に出場し、注目された選手だった。
ジオバンニが96年途中にFCバルセロナに移籍してしまい、さすがに少々チーム力が落ちてしまったが、95年のCampeonatoBrasileiro(ブラジル全国選手権)での大躍進は忘れることができない。
決勝でボタフォゴに敗れてしまったんだけど、赤く染めた髪(!)のジオバンニと金髪のジャメーリのコンビは、間違いなく屈指の攻撃陣だったと思う。
Jameliが清水に在籍した際に活躍できなかったことが残念でならない。
2009年02月24日
また決めちゃった?(笑)

先日の記事(※2月17日の記事、http://tomojaponezinho.pokebras.jp/e76295.html)にも書いたように、サントスの監督がVagner Manciniに変わった途端、起用されるようになった元鹿島のファボン。
またゴールを決めて、サントスを勝利に導いた。
サントスのホームゲームなのに、コリンチャンスがホームスタジアムとして使用するパカエンブースタジアムで行われた試合であったため、3rdユニフォームの青(紺?)い見覚えのないユニフォームでの試合となったらしい。
ファボンは試合出場に恵まれず、出場機会を求めて移籍を志願していたが、契約期間中であることから高額な移籍金が必要となるために、ファボン本人が希望していた古巣のゴイアスは獲得に乗り出さず、サントスに残留したという経緯があるのは前にもお伝えした通り。
監督の好みがあるとはいえ、監督交代の後に出場機会を得て活躍するとは、何とも皮肉だね。
うーん、でもこのサントスのユニフォーム、見慣れないけどかっこいいなぁ…(笑)
2009年02月17日
元Jリーグでプレーしたあの選手が…

2007シーズンに鹿島アントラーズでプレーしたファボン。
2005年にはサンパウロFCのクラブW杯優勝に貢献し、2006年はブラジル全国選手権のベストイレブン。
屈強なCBとして期待されて入団した鹿島では再三の怪我での離脱から、最後は契約期間中にもかかわらずサントスFCと交渉し、強引に移籍してしまった経緯がある。
※ちなみにファボンが鹿島に在籍していた時に何度か彼と会話する機会があった。ブラジルに帰国する際も、『早く戻って来いよ!』と成田空港で声をかけたら、『もちろん!』なんて言っていたくせに(笑)

そして2008シーズン、サントスでは満足な出場機会に恵まれず、2009シーズンを迎えるに当たり、古巣のゴイアスへの移籍を志願していたらしい。
しかしファボンは契約がまだ1年残っていて、高額の年俸からの移籍金がネックでゴイアスは獲得の意思を見せず、サントスFCを離れることはできなかった。
そんなファボンが、久々の出場でゴールを決めたらしい。
先日書いたように、サントスは監督が交代したことでファボンが出場機会に恵まれたようだ。
ポジションはザゲイロ(CB)だから、得点が期待されている選手ではないのだが、サントスFCのサイトでもトップページにファボンの写真が載っていたことからも、『やっと活躍してくれたよ…』というところか。
結局プロの世界では結果を残すしかない。
ファボンはここから汚名挽回できるだろうか?
2009年02月14日
監督の辞任

サントスのフェルナンデス監督が辞任した。
2008年のリベルタドーレス杯の敗退や、ブラジル全国選手権での低迷から続々と監督が辞任していった中、何とか全国選手権のセリエA残留を決めたフェルナンデス監督。
サンパウロ州選手権で3敗目を喫したところでの辞任。
日本のJリーグでは長いリーグ戦で3敗したぐらいでは進退問題に発展しない。
『3連敗でクビが飛ぶ』
ブラジルでは暗黙の了解だ。
しかしフェルナンデス監督は3連敗をしたわけではないし、チームもまだ8位と中位なのだが、早くも責任をとったというわけだ。
どこかの代表監督は、『予選突破して当たり前』の空気さえあったW杯予選で、ホームで負けに等しい2引分でもクビも飛ばないし辞任もしないわけで…。
そういう厳しさが日本にはまだない。
2009年02月04日
各州選手権がある羨ましさ
ありがとうございます。】

ブラジルのシーズンは、各州選手権にて幕を開ける。
やっぱり注目を浴びるのはcampeonato paulistaこと、サンパウロ州選手権だろう。
僕の贔屓はサントスFC(個人的です…ゴメンナサイ)。その他サンパウロFC、パウメイラス、コリンチャンス等、有名なクラブがずらっと並ぶ。
やはり注目度も高いし、レベルも高い。
実際に映像で見ても、他の州選手権よりもレベルは高いのだ。
その他はフラメンゴ、ヴァスコ・ダ・ガマ、ボタフォゴ、フルミネンセ等の有名クラブが争うCampeonato CARIOCA(ヒオ・デ・ジャネイロ州選手権)や、クルゼイロ、アトレチコ・ミネイロのCampeonato MINEIRO(ミナス・ジェライス州選手権)、そしてトヨタカップ等でも来日しているクラブ、グレミオやインテル・ナシオナルのCampeonato Gaucho(ヒオ・グランデ・ド・スウ州選手権)が、前述のように日本でも有名なクラブが参戦する州選手権だろう。
ところが、サンパウロ州選手権だけでもこれだけではないのだ。
セリエA-1と呼ばれる1部リーグだけでなく、セリエA-3と呼ばれる実質3部リーグまでが大きなリーグとして存在し、その下にもセリエBがあるのだから奥が深い。
しかもセリエBには育成のビジョンを考えて、年齢制限(オーバーエイジ枠含む)も存在する。
頻繁にコメントを頂いている『フッチボール情熱大陸より』さんも指摘されている、育成の為のJ3構想、年齢制限のモデルケースとしては非常に興味深い。
ブラジルの広大な国土、特にサンパウロ州だけでも日本と同じぐらいの広大な面積がある中でも、プロチームが数多く存在する。
セリエA-3までの3ディビジョンでも各16クラブ、合計48クラブだからね!試合数も含め、その選手が育ってくる環境が作れないはずがない。
日本ではそういった環境を作れるかといえば現実問題、非常に難しいんだけど、やっぱり単純に羨ましい環境だし、学ぶべき点が多く存在する。
特にクラブの運営の仕方とかね。
街クラブもあれば、ソシオと呼ばれる会員を募るタイプのクラブもあるし、企業の力が強いクラブもある。
日本ではその企業の力が前面に出てくるクラブはあまり評判が良くならない傾向があるけれど、クラブ数が多くなるとそういった色を出すことが重要になってきたり。
育成を考えていくのであれば、今現在日本で見られるようなU-15までのクラブだけじゃなくて、それ以降トップチーム(もちろんプロでなくとも)までの環境作りもキーになってきそうだね。
最近育成カテゴリーで色々書いてきたけれど、そういった年齢別の環境整備も含めてまだまだ日本は遅れていると言わざるを得ないな。
題名の通り、各州選手権(もちろんプロリーグ)のある羨ましさの意味は計り知れない。
2009年01月05日
ドイストッキ
このドイストッキ(アンダーツータッチでのゲーム)は非常に奥が深い。
ファーストタッチだったり、判断の速さだったり、実はフィジカルコンタクトの際のボールキープや腕、身体の使い方だったり、タッチ数の限られた中でのリズムの変化だったり…例えば同じ2タッチでもワンタッチみたいな早いコントロールだったり、2タッチでもドリブルの様なリズムだったり。
その発想やイメージって無限にあるんだけど、『え?そんなこともできるの?』って事をやってくる選手もいる。
その他、守備から攻撃の速さやその逆等、とにかくそのFUTEBOLに必要な要素を求めることでも、練習としての質を高めることができる。
日本でも2タッチ以下という制限をつけることでの練習は意外と昔から取り入れられていたと思うけど、そのブラジルでのU-18のトレーニングでの『ドイストッキは』全然レベルが違う。
攻撃方向を考えた体の向きだったり、前述の判断やボールコントロールやキックの精度等の違いは、一言では言い表せない。
プロのトップチームのrecreativo(ヘクレアチーヴォ、レクリエーションの意)と呼ばれる、公式戦直前の調整等でもドイストッキは行われるけど、日本のツータッチゲームとは文字通り世界が違うんだよね。
ブラジルは『個人技』ってよく言われるんだけど、実は究極の個人技はこの『ドイストッキ』なんじゃないか?って思う。
最近紹介したフランサなんかは、ムチャクチャ上手いんだろうなって予想がつく。
本当にブラジルサッカーは奥が深い…。
※写真は本文とは関係ありません。
2008年11月07日
天国から地獄
一時は100億円の預金があったっていうエピソードは、なんとも驚きの数字…その他にも色々とエピソードを聞くと、そこからの逮捕はなんという急降下なのだろう。
そこでgarrincha(日本ではガリンシャと呼ばれるのが一般的だが、ポルトガル語読みに近く以下ガヒンシャと表記、本名 : マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス (Manoel Francisco dos Santos), 1933年10月28日生)を思い出した。

ペレと並ぶブラジルのスター選手であったが、ペレとは対照的な人生を送った選手だということで有名でもある。
ガヒンシャは貧しい家で生まれ、小児麻痺の後遺症から、片方の足が極端に曲がっていたらしいが、それをハンディではなく逆に武器として『よろめく』ドリブルで相手チームを切り裂いた。
実際に白黒の歴史を感じる映像を見たことがあるが、決して早いとは感じないけれど、あのドリブルはファウルでしか止められないだろう。

しかし、引退後はその貧しさ故の教養の無さが災いしてか、色々な悪意を持った人々に利用され、酒に溺れ(麻薬にも手を出していたとの説もあるが…)、49歳の若さでこの世を去ってしまった。最期はビンを抱えたまま野垂れ死に同然だったという。
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最近ブラジルでは、イタリアセリエAでもプレーした元ブラジル代表、カーザグランジが、アルコール依存症と薬物依存の治療からテレビ局のコメンテーターとして復帰したというニュースがあった。
スポットライトを浴びて、何か魔が差して自分に負けてしまうと一気に転落してしまうということか。
人間、何かを誤って道を踏み外してしまうと、とんでもないことになってしまう。
夢を与えるはずのプロサッカー選手だったら尚更だ。
本当にガヒンシャが間違った方向に進まず、世界のサッカー界に何かを伝えてくれていたらと思うと、非常に残念でならない。
2008年10月23日
純粋なハングリー精神
その時練習に参加していたクラブ(カテゴリーはジュニオール、20歳以下)は、結構管理が厳しいクラブで、深夜の外出等の不祥事は該当選手の減給があるなどの具体的な契約書を交わして選手はプレーしていたし、実際に夜遊びがばれて減給処分になった選手がいたりした。
元サントスやグァラニー等の有名クラブから移籍してきた選手もいたし、本当にレベルが高かったからプロと同じ環境だったと言っても過言ではなかっただろう。
ある時、練習試合が組まれた。
在籍していたのは僕を含めて22人。ベンチには18名しか入れなかったので、僕(留学生だしチーム力を考えたら当たり前なんだけど…)を含めた4人がスタンドで観戦していた。
試合の内容は圧勝。
ベンチに入った選手は全員出場。
悔しさを噛みしめて帰りのバスに乗り込もうとした時、交代でしか出場のチャンスを得られなかったヤツが僕に声をかけてきた。
『今日の夜にアマドール(アマチュア)の試合があるんだ。お前も行かないか…?』
クラブの寮に入っている選手は外出ができないから無理なんだけど、自宅から通っていたベンチに入れなかった選手にもそいつは声をかけていた。
僕は当然のように『行く』と答えて、夜にそのアマドールの試合に行くことにした。
で会場に行くと、ベンチに入れなくて寮に住んでいない選手が2人来ていた(笑)
仮に見つかったら?いや、そんなことよりもFUTEBOLが好きなんだよね。
そんなんで、ナイターでの試合をこなして、翌日の朝には何事もなかったかのようにみんな練習に参加してたし(笑)
結構前にも書いたけど、セルジオ越後氏が前に言ってた、『本当のハングリー精神はプアー精神とは違う』っていうのかな…もちろん貧困から抜け出す為にサッカーしか手段がない場合もあるけれど、やっぱり試合に出られなかった悔しさとか、そのサッカーが好きだっていう気持ちとか、上手くなりたいっていう向上心とか…実際にピッチに立たないと意味無いからね。
ちょっと意味は違うかもしれないけれど、最後に世話になったクラブにいた時、『人数が足りないから試合に出てくれ』って、助っ人に誘われていったアマドールの試合に行って、たまたま活躍したら、代表の人がいきなりコーラとか奢ってくれて、
『うちのチームに来ないか?』
ってマジで誘ってきたからね(笑)俺の価値はコーラ一本かよ…っていうのは冗談だけど、いきなりチャンスに繋がるようなこともあるかもしれないじゃない?
そういう意味でチャンスが来ないからふて腐れるんじゃなくて、練習に打ち込むとか、チャンスを得るためにハングリーでいることの重要性っていうのは大事だなって感じたね。
最近の高校生とかにも言いたいよ。
練習がオフになって喜ぶんじゃなくて、ライバルとの差を縮めるチャンスなんだって。
あるいは、絶対的に自分が上手くなるチャンスなんだって。
もちろん純粋に身体を休めるのも、リラックスするために遊びに行くのもダメじゃないんだけどさ、ちょっとハングリー精神、足りないんじゃないの?って。
ブラジルにはそういうハングリーな奴が草サッカーにもたくさんいるからね。
2008年09月11日
まだDUNGAがやるの?解任しろよ…

BRASIL 0-0 BOLIVIA
ボリビアにホームで、しかも退場を出したボリビアから無得点。
いい加減にDUNGA解任でしょ…。
日本のあの人も、勝ったとはいえ直ちに解任して欲しいけど…。
最近書いたように、もしDUNGAが解任されて日本のあの人も解任されたら、オフトが就任した磐田にDUNGAが行くことはないだろうけど、日本代表監督に鹿島のオズワルド・オリヴェイラが就任して、DUNGAの下でアシスタントをしていたJORGINHOが鹿島の監督になる可能性はあるね(苦笑)
ブラジルはこのタイミングで動かなかったら、ここ数年の力関係が完全に逆転して(いや、既に逆転されてるかな?)アルゼンチンの背中を追いかける構図になってしまうな。
2008年08月23日
意地の銅メダル

北京五輪3位決定戦で、ベルギーをDiegoのゴールとJoの2ゴールで3-0で下したブラジル。
意地で銅メダルってところかな?
ある意味、ブラジルにとっての五輪でのサッカーの位置づけは、金メダル以外は何色のメダルでも価値はないんだろうね。
DUNGAは解任されるんだろうか?
いや、解任されなきゃブラジルの未来は怪しいよ。
RonaldinhoGauchoも次のW杯は厳しそうだね。
KakaやDiegoといったスター候補も決して若手ではなくなってくる。
それでも、王国は王国であって欲しいと思うのは僕だけだろうか?
2008年08月22日
銀メダル

きっと日本だったら『良くやった!』って言われるんだよね。
もしかしたらブラジルでもそう言われるのかもしれない。
男子は決勝に進出できなかったのだから。
それでも彼女たちの表情は、決して満足していない。
やっぱり勝負の世界に生きている本物のアスリートっていうのは、プロだろうがアマチュアだろうが、これが当たり前なのかもしれない。
2008年08月20日
言い訳できないでしょ?

北京五輪、アルゼンチンに0-3と準決勝で敗れたブラジル
相手がアルゼンチンっていうのもあるんだけど、やっぱりDUNGAを解任しないとブラジル国民は納得しないだろうね。
W杯予選のホームでのアルゼンチン戦での不甲斐なさと、今回『最後のチャンス』だったはずの北京五輪でまだ銅メダルの可能性はあるとはいえ、やはり金メダル以外の結果しかブラジル国民は納得しないことからも、DUNGA解任は当然の流れかな。
某ブログで読む限り、今回の結果はブラジル国内でも静観されているみたいだね。
ある意味DUNGAじゃ勝てないっていう諦めモード(それは日本の反町ジャパンじゃ勝てないっていうのとはレベルが違うんだけど…)だったって証拠かな。
サッカーで銅メダルを持ち帰ってもブラジル国民は納得しない。
サッカーでの五輪では、金メダル以外に望まれていないって、ある意味羨ましい話ではあるんだけどね。
2008年08月14日
本気で期待!!!!!

低迷するサントスが次なるメスを入れた!
選手としても高い決定力を誇るセントラバンチ(CF)として、サンパウロFC、サントスFCでプレーしていた伝説の82年W杯のセレソンの一人、セルジーニョ・シュラッパが、サントスFCに帰ってきた。

サントスはマルシオ・フェルナンデス監督の補佐(ヘッドコーチかな?)として、セルジーニョ・シュラッパを招聘した。
僕がブラジルに行った直後の95年、セルジーニョ・シュラッパはサントス市内のACジャバクアラの監督を務めていたんだよね。
で、ポルトガル語もブラジル事情もほとんどわからないままジャバクアラの練習に参加していた僕は、黒人のデカい人がいるな…と思っていたら、今になってみるとセルジーニョ・シュラッパだったんだけど(爆笑)
とにかく熱い人らしい。
ジャバクアラの監督になる前にサントスの指揮を執っていて、審判に対して執拗な抗議をしたり、試合終了後に相手チームの関係者と小競り合いを起こして、その相手の股間を蹴り上げてベンチ入り禁止になったり…(苦笑)
エピソードも凄いんだけど、憎めないキャラクターということもあって、世論の支持も高いんだよね。
サントスではバンデルレイ・ルッシェンブルゴ(言わずと知れた名将)、オズワルド・オリヴェイラ(現鹿島アントラーズ監督)、アレッシャンドレ・ガーロ(元FC東京監督)、ネルシーニョ・バプチスタ(元東京V、名古屋監督)といったビッグネームの監督の補佐として働いていたみたい(全然知らなかった…)。
結果が出ていない時に、熱意を持って行動できるか?
日本の関係者にも見習って欲しいよ。
2008年08月12日
2008年08月07日
遂に監督交代

遂にサントスは、監督交代に踏み切ったね。
2連勝の後、ホームでコリチーバとアトレチコ・ミネイロに連敗したら、さすがにクカ監督(写真)は言い訳できないよね。
後任はマルシオ・フェルナンデス(ちなみに僕は経歴等を知りません…)。
サントスの救世主となれるかな?
2008年07月31日
反撃!

SANTOSは敵地ベイラ・ヒオスタジアムで、INTER NACIONALに1-0で勝利!
連勝で反撃の狼煙。
先日、会長批判的なことを書いたけど、色々キャンペーンとかを行って観客動員とチームへの奮起を促してるみたいだね。
http://santos.globo.com/timedavirada/principal.php
ここから先は具体的に選手の移籍での獲得を目指すことと、再び低迷しそうなチーム状況に陥ったときに直ちに監督を更迭する姿勢を表して、常に崖っぷちに立った状態の様な危機感を選手や監督に持たせることがクラブの上層部には必要だよね。
サポーターがスタジアムに足を運ぶなら選手も監督も変な試合はできないだろうし、逆にチームの成績が上昇すれば更に観客動員が期待できるもんね。
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ちなみにサントスってサンパウロから1時間ちょっとかかるところなんだけど、サンパウロ市内にもサンチスタはたくさんいる。
日本で言えば鹿島なんかは東京都内にもサポーターはたくさんいるんだから、こういう何かのキャンペーンで東京からももっとカシマスタジアムに足を運んでもらえるような方法を考えて、観客動員に対しての対策としてもいいんじゃないかな?
当日の高速道路の領収証(一定金額以上)と試合のチケット提示で、何かグッズをプレゼントとか、キャッシュバックとか、他の試合のチケットプレゼントとか。
鹿嶋市近郊のホームタウンの人口に対して、4万人弱収容のスタジアムを埋めるのは結構厳しいもん。
平日は現実的に無理だけど、休日の観客動員を考えたら、参考にできると思うんだけどな。




