2010年02月03日
現実を知ることの大切さ
基本的な路線はそのままですので、今後ともよろしくお願いします…。
http://cojb.exblog.jp/12772361/
リンク先でもある某ブログの記事。
『夢』を追いかけると言えば聞こえはいいけれど、実際にこのような人はまだまだたくさんいるのが現状。
僕も実際22歳までは一般公募のセレクションに通ったりしたけれど、今思えばもう少々早く他の勉強に移ってもよかったのかな?なんて思っている。
実際にブラジルでは24、5歳でプロになる選手もいるんだけれど、そういう選手はそれなりにアマチュアのクラブとか、職場のチームとかでプレーしたりしている例が多い。
理由は、『プロサッカー選手よりも工場で働いた方が儲かるから』だったりする。
ある程度の年齢になったら働かなくてはならない。
確かに裕福で働く必要がない人もいるのだろうがそんな例は希だし、現実的にはサラリーを稼ぐために勤労しなくてはならないわけだ。
『プロサッカー選手になりたい』という気持ちは否定はしないけれど、現実に負けて夢だけを追いかけることが、次のスタートを遅らせてしまうのではないか?と思う。
実際に自分とブラジルで同じクラブで毎日練習していた日本人選手は誰一人としてプロ選手にはなれなかったけれど、社会人として立派に働いていると聞く。
逆にブラジルに来てからぐうたらしていた選手のその後は全く知らない…というか、誰一人として連絡を取ろうとしないから全くわからない(苦笑)
例えば、『プロサッカー選手になりたい』と言って、それなりに練習、努力していたとしても、周りも初めは応援してくれるかもしれないが、年齢が上がるにつれて段々相手にされなくなってくるだろう。
そして現実…25歳ぐらいで『プロ』と言っても誰も相手にしてくれなくなるでしょ?
ある友人は、『どうしても諦めきれないから、海外に行きたい』と言いだし、バイトでお金を稼いでブラジルに1ヶ月だけ挑戦した。
そして1ヶ月後、成田空港に出迎えに行くと、『自分は新しい道に進む決心がついた』と、きっぱりと夢を諦めた。そして…。
『理学療法士になる』
そう言いだして、彼は猛勉強を始めた。
少し国家試験に躓いたけど、現在は理学療法士として働いている。
夢を追いかけてダメだったとしても、本気で打ち込んだことだったとしたらその経験が次のステップでも必ず生きてくるものだと思う。
もしかしたら、『プロサッカー選手になりたい』というのは、現実から逃げるための口述だとしたら…それは非常に残念なことだ。
夢を持つことと現実を知ること…両方のバランスが重要なんだと改めて思う。
2010年01月08日
2010年高校選手権
本年もよろしくお願い致します。
日本の育成に関して特に今の時期は、自然と高校選手権の話題になるだろう。
やはりトーナメントの大会ということで、どうしても結果を意識したリスク回避が多いサッカーとなるのは例年と変わらない。
もちろん一時期に比べればそのリスク回避も減ったかもしれないけど、やはりマンネリ化を打開する為にもW杯方式の大会にした方がいいのかもしれないね。
要するに、予選リーグ→決勝トーナメントというやり方。
予選リーグがあることでリーグ戦で引き分けても最悪勝点1という、リーグ戦の戦い方ができるので、一発勝負で力のあるチームが敗退するということは避けられる。
もちろんトーナメントで勝ち残るチームも力のあるチームなのだけど、質の高いサッカーを求めていくなら予選リーグを行ったほうがいいでしょ。
会場確保等の問題もあるけれど、出場校を現状の48から32チームに絞ることさえできれば、開催は可能な気がするけど、どうだろう?
各チームの日程は過酷になるかもしれないけど、各グループ1位のみの決勝トーナメント進出とすれば、決勝戦まで進出したチームは6試合を戦うことになるが、現行の大会でもシードされないチームは6試合を戦うわけで決して不可能な数字ではないわけだし。
前からトーナメントの大会に対して問題提起がされてきていたから尚更だし、プリンスリーグもできた事は評価に値するのだけれど、高校選手権はメディアの力もあるからこそ、サッカーの質が求められていいはずだ。
実は会場に足を運んだ時に思ったのは、
『入場料が\1,500は高い…』
って事(苦笑)
プロのプレシーズンマッチだって自由席が\1,000の試合もあるのに、全国大会とはいえ、あの内容に\1,500を払うのには抵抗があったな。
父兄とかは応援席に無料で入ってるんだろうし、実際の有料入場者がどれぐらいいるのかはわからないけど、スポンサーもついた大会なのだから尚更、お金を払うのにはサッカーの質が問われてもいいはずなんだよね。
学校スポーツだから教育の一環であることは間違いないよ。
プロでもないから、サッカーの質を問うのはどうか?って言われたらそれも一理ある。しかし、選手はいずれ社会人になる。
その学生時代に打ち込んできたサッカーの大会を、お金を払って見に来る人がいるって事は、ある意味一時的に社会に出たのと同じ事なんじゃないかって思う。
要は、チケット代を払うのに値する大会なのか?チケット代を払ってでも見たいチーム、選手なのか?って事だと思うんだよね。
ある学校の選手は、審判がラフプレーを注意した際にその場では頷いていたけれど、振り返った瞬間に『へっ』って感じで表情を変えて唾を吐いてた。
そんなシーンを見て、『指導者は何を指導してたんだろう?』とか、『こういうシーンはお金を払って見たくないな…』って考えたし、前述のように、リスク回避のサッカーや、技術的に未熟な面等に対して…\1,500を払う事に自分は抵抗があったんだよね。
テレビで見るのも一つの手なんだけどさ、久しぶりに会場に足を運んだら、メインスタンドはほぼ満員だった事で、『みんなお金払って満足なのかな…?』って思った。
辛口だけど…日本のサッカー界の発展を考えたら、絶対に大会の新たな改革を考えて欲しいなと強く思う。
2009年12月03日
良い選手の基準
・がむしゃらにプレーするのではなく、考えて全力でプレーする選手
・攻撃だけ、守備だけに偏らない選手
・攻撃のために守備が出来る選手
・守備のために攻撃が出来る選手
・あくまでチームのために個人技を活かせる選手
・精神的に強い選手
言葉にするのは簡単だけど、実際にこういったことのできる選手って、意外といないんだよね。
『頑張る』って言葉を勘違いして、ただ一生懸命がむしゃらにやる選手は良い選手に見えるけれど、実はチームのバランスを壊してしまう。
そして、前に草サッカーに行った時、
『ディフェンスの選手は、0点に抑える喜びをやり甲斐にして欲しい…』って言った人がいて、その考えを否定はしないんだけど、僕個人的には『?』って感じで、共感できなかったんだよね。
やっぱり僕らが選手を育てていく上で考えなければいけないのは、『多種多様』を理解できる選手じゃないか?って。
だけど、現代のサッカーにおいてはFWも守備の負担を苦にしないということが重要だと思うし、守備の選手でもボールを失わないことだったり、攻撃参加や決定機に絡むことは最低条件だと思うんだよね。
2008シーズンの鹿島のマルキーニョスなんかは、前線からの守備だけでなく、得点能力としても得点の仕方が多彩だったと思うし、MVPとして相応しいかったと思う。
あのシーズンのマルキーニョスは日本人FWの目指すべき姿を実践してくれたと思うな。
2009シーズンは研究されたり、コンディション不良なのか、なかなかベストの状態でのプレーは見られなかったけど、先日のガンバ戦では本来の姿を見せてくれたような気がする。
興梠はそのマルキーニョスの側でプレーして伸びたって誰もが思うよね。トニーニョ・セレーゾ元監督がブラジルに帰る際、『ブラジルに連れて帰りたい』と言った能力を持つ選手だからこそ、そういったマルキーニョスのプレースタイルを学ぶことは大きいと思う。
そして2007シーズンに小笠原がイタリアから帰国した際のプレースタイルの変化は興味深かった。
まさしく攻撃の為にボールを奪うというヴォランチとしての理想のスタイルだったと思う。
残念だったのは2008シーズンになると疲れが出てきた頃に守備面での貢献が落ちてきて、尚かつ長期の怪我での離脱があったこと。
そして2009シーズンは開幕戦で復帰したものの、2007シーズンに比べると守備面での貢献が徐々に落ちてきてしまったように感じた。
しかし、ガンバ戦の先制点に繋がったボール奪取等のプレーは、コンスタントに意識して欲しいプレーだと感じた。
どうしてもカシマスタジアムに足を運ぶ機会が多いので、鹿島の選手を例に出してしまうけれど、海外経験のある選手が学んだプレーというのは非常に興味深いし、良い選手になる一つの例じゃないか?と思う。
特に興梠なんかは海外に挑戦して欲しい選手であるし、代表でもスタメンのチャンスを得られたらと思うのだけれど…。
あとは一昔前のブラジル代表の両サイドバック、カフーとロベルトカルロスの様なサイドバックが日本に育ってきたら…と思うけれど、それにはまだまだ時間がかかりそう…。
CBに関しても闘莉王は帰化選手だし、日本には世界基準のディフェンスの選手、要するにゴールを守るだけの選手じゃなくて、攻撃にも貢献できるDFの選手を育てていこうとする努力が必要じゃないか?って思う。
※まあ闘莉王に関してはちょっとワガママに前に行きすぎる気はするけど…。
メンタリティに関しては別の機会で触れるとして、攻守のバランスが全てのポジションにおいて必要とされているし、本当にいい選手はそういう事を常に考えられるよなって思った。
ただ『頑張って守る』っていうような守備のレベルじゃ通用しないのがプロや世界のサッカーだからね。
いや、本当は草サッカーのレベルでもそうならないといけないんだよね、国のサッカーのレベルを上げるっていうことは。
2009年11月17日
プレーイングエリアの確保
最近では、GKからのフィード等の際でのヘディングの競り合いの前に、一切駆け引きをしないでボールにがむしゃらに競り合う場面を見ると残念に思ってしまう。
守備側の選手は、自分のゴールを守るために前を向けるから、ある程度ボールを見ながら競ることができるから有利なんだけど、攻撃側の選手の工夫の無さは本当に残念。
高さのない選手は特にそういう工夫がないとボールをキープするどころか、先にボールを触れないと思うんだよね。高さのある選手だったら尚更工夫があればボールを懐に収めるっていう選択肢もできてくる。
具体的に言えば、あるJでプレーするブラジル人選手のFWは、身長はそれほどでもないから、GKからのパントキックでのフィードに対してヘディングで競り勝つことはあまりないけれど、自分より大きなDFの選手を背負ってボールを懐に入れて、攻撃の起点になれる場面が多かった。
その工夫っていうのは、DFの選手は勝手に落下点に入ってくれるので、ボールが落ちてくる前にボールを見ないで前を向いて一度DFの選手の懐にぶつかってから、腕を使ってプレーイングエリアを確保することだ。実際にそういうボールのない場面での駆け引きは、ボールウォッチャーになってしまうDFの選手には非常に厄介だろう。
ちなみにスペースにボールが出た時に、こういう駆け引きを前もってしておくことで、一瞬のスピードでDFは置き去りにされたりしてしまう…密着でマークすると、どうしてもスペースを埋めることは難しくなるからね。
また高さのある選手の駆け引きにおいても、どうしても腕を使ったプレーができていなくて残念な気がする。鹿島の田代みたいな、高さだけでなくてジャンプ力がずば抜けている選手が、相手DFのプレーイングエリアを奪うように腕を使えたら…なんて思ってしまう。
実際に先日の天皇杯の神戸戦では、腕を使う前にジャンプしてしまって、相手DFに競り勝っても自分の身体を守れないで大怪我を招きそうな場面が何度もあったし、審判のジャッジがそういった接触プレーに対して無駄に敏感だった為に、明らかにDFが背中を押していても、田代が先に飛んだ分、落ちてくるタイミングのズレから、結果としてファウルを取られて、『跳び損』みたいな事になっていた。
※まあ審判のジャッジの質も低かったんだけど…(苦笑)
ヘディングってプレーに関しては、自分が有利になるためだけでなく、跳んだ後は無防備な姿勢になるからこそ、その前の駆け引きをしないと予期せぬ大怪我にも繋がってしまう。
そういう意味でも、指導の上でボールをしっかり当てることだけでなくて、その前の駆け引きをしっかり教えてあげないと、自分だけでなく相手も怪我させてしまう可能性が出てくるってことも理解しないといけない。
やっぱり前述の田代みたいな身体能力を持った選手はもったいないよね。
11月14日(土)天皇杯の鹿島対神戸をスタジアムで見ていて色々考えたけど、オリヴェイラ監督が試合後の会見でも、審判のジャッジに対してもコメントしていたらしい。
でも、それだけじゃないんじゃないか?って思ったので書いてみました。
2009年10月23日
厳しさが人を育てる
就職率100%という脅威の数字に対しての秘密…自身が経験された苦労を含めての教育方針は、本当に素晴らしいものだった。
『厳しくなければ教育ではない』
語弊もあるかもしれないけれど、社会の厳しさを社会に出る前に伝える事は非常に大事な事だ。
僕はこのブログで、日本の過保護すぎる面を含めて色々指摘してきたつもりだけれど、『就職率100%』の数字が物語る事は『厳しさ』に秘密があるのではないか?と思う。
結局高校生ぐらいまでは、ある程度法律や学校、保護者に守られてもしょうがないんだけど、それの度が過ぎるからこそ、社会の厳しさに負けてしまう若者が増えていく傾向があるのではないか?
理屈じゃなくて、戦中、戦後の厳しい状況を乗り越えてきた人の話は説得力がある。しかし、今の子供達はそういう話は知識にあっても、それの何十分の一の障害も乗り越えられずにふてくされてしまうのが現状じゃないかな?
本当の厳しさを知るのは社会に出てからかもしれないけど、少なくとも学生の年齢のうちにその準備をしなくてはいけないのに、多少の厳しさも知らないで育ってしまった者は社会に適合できずに苦しむんだよね。
前からずっと指摘してるけど、プロサッカー選手だって一つの職業。そのプロサッカー選手になりたかったら、指導者がそれなりの厳しい環境を作り出しての練習は不可欠。
厳しさっていうのは厳しい練習だけじゃなくて、生存競争の厳しさだとか、社会の中で生きていく厳しさだとか…特にピッチ外での教育が欠けてしまっては全く意味がない。
でも、残念ながら今の日本全体の育成のやり方だと、厳しさを知らない温室育ちの選手があまりにも多く育ってきてしまうような気がしてならないんだよね。
個人的にはU-18世代までの移籍を今よりも活発にできるようにして、Jクラブの下部組織も契約制にして、力が足りない選手は契約を打ち切られて他チームに移籍しなければならなくなるとか、逆に力のある選手は他チームから引き抜かれるような環境が出来上がるのが望ましいと思う。
素行の悪い選手や、学業面での成績が振るわない選手なんかも契約を打ち切られるっていうプレッシャーを持ちながらプレーすることは、むしろプラスの要素も多いと思うけどどうだろう?
義務教育が15歳、中学校3年間で終了するからこそ、そういった厳しさを与えることで、社会でも通用する人間が育ってくると思うのだけど…。
2009年09月25日
8人制?
FUTEBOLで飯を喰っていくために七転八倒…それもこの先の為とはいえ、やっぱり甘くないですね。
どのカテゴリで書こうか迷ったのだけど、やっぱり育成の面での話になっているので育成カテゴリで。
8人制のFUTEBOLを日本協会が広めようとしているみたいだね。
実際に指導者講習とかでも、8人制の事にも触れているからそれなりに考えてのことだろうね。
でも育成のためにわざわざ8人制の大会等を作ることの手間を考えたら、フットサルをもっと育成のために取り入れる努力をしたほうがいいのにね。実際フットサルはルールも確立されているからこそ、競技としても成立するわけで。
そもそもボールに触れる回数を増やすのなら、フットサルのほうが更にボールに触れられるしプレッシャーもキツい。
まあ、ゴールの大きさが明らかに違うから、GKの育成を考慮して8人制というのもわからなくはないのだけど、やっぱり敢えてルールを作ったり大会を作るっていうのにはちょっと疑問は残るな。
地域差はまだあるにせよ、日本全国にフットサル施設ができあがっているからこそ、その施設を活かすことの方がよっぽど重要だと思うんだよね。フットサルの関係者の肩を持つわけではないけれど、さすがに今までの気軽に楽しむだけではない、育成の面でのフットサルはこの先どうなるんだろう?と思ってしまう。
ZICOが昔、『フットサルとサッカーをバランス良く若年層の頃から両方取り組むことは非常に意義がある』と言っていたことが興味深いのだけど、どうしてもフットサルという競技をサッカーとは別物と切り離して考えてしまっているのではないか?と思ってしまうんだよね。
もちろん『いや、決してそうではない…』と言われるだろうけど、最近日本協会からはフットサルに対してのコメントを聞くことが難しくなってきてしまったからね。
サッカーとフットサルの垣根ができてしまったのかな?
前から多少か感じていたことではあるけれど…。
2009年08月14日
改めてプロ意識とは?
先日、某クラブと大学の練習試合を見に行った。
試合内容等は省くが、試合後のファンサービスが行われていた際の選手の立ち振る舞い等を少し離れたところで見ていた。
ファンサービスに応じた後に駐車場に向かう選手の数名(結構いたけど…)が、アイシング等を行っているわけでもないのにサンダルで歩いていた。中にはビーチサンダルを履いている選手もいて、そのプロ意識の低さに呆れてしまった。
足首等にアイシングをしている場合はサンダルでも致し方ないけれど、真夏とはいえサンダルはないでしょう?
自分の足が大事ではないのかな?駐車場に向かう道は街灯の灯りに頼る程度の薄暗い場所だったのだけれど、気をつけないと足を何かにぶつける等のアクシデントに見舞われかねない状態に、サンダル履き、中にはビーチサンダルの状態で素足をさらしている選手がいたのには残念だった。
中には滑りやすい場所(土の坂道)を避けて歩いている選手もいて、『ああ、わかっているな…』っていう選手もいたけれど、ほんの数名だったし、細かいけれどそういった心配りがつまらない怪我を無くしたり、大袈裟に言えば選手生命を伸ばすことに繋がると思うんだけどね。
ある選手が駐車場に向かう際に、もの凄い形相で近寄れない空気をファンの前で出していた選手がいた。
側で見ていた親子がいたのだけれど、父親が『サインもらえば?』と呟くと、子供は…『あの人怖い…』と言って、一歩下がってしまっていた。
その選手がサンダル履きだったのは言うまでもないのだけれど。
駐車場には選手の物と思われる高級車がたくさん停まっていたけれど、プロ選手のステータスを保つための色々なプロ意識を改めて見つめ直して欲しいと思ったのは言うまでもない。
2009年08月07日
正しいキックは裸足から
『最近の子は上手くなった』って表現をする人も多いけど、足元でちょこちょこやる事は、実は試合に役立つ技術の優先順位ではランクが下になると思う。
数年前にある元日本代表の人と話をした時に、
『確かに俺たちの時代のサッカーと比べると進化してるのかもしれないけど、大事なインサイドキックとかが下手になったと思う』
って嘆いてたのを思い出した。
もちろん、その当時の選手だって世界で勝てなかったのに、現在はアジアでは予選を突破できるようになってW杯に出場できるようになったけれど、それ以上にキックの技術が上手くなってないってことなら、世界で勝てないっていうのは納得できることじゃないかな?
どうしても僕はブラジルの裸足でのプレーでのメリットを考えてしまう。
ブラジルの草サッカーは基本的に裸足。
芝生のピッチの11対11の試合でも裸足でプレーしているケースもある、いや、そんなシチュエーションで実際に試合に参加させてもらったことがある。
裸足だと正確に足に当てないとボールが蹴れないんだよね。
トーキックとか、いい加減なアウトサイドとか、それじゃあボールが蹴れない。
前にも書いたけど、ブラジル人は裸足で正確なトーキックを蹴れちゃうからそれだけでも驚きなんだけど、インサイドキックやインステップとかでもしっかりとボールを蹴るためには痛くないポイントにしっかり当てなきゃいけないから、キックの技術は自然に身に付くんだよね。
それで光る物を持った奴がクラブへ引き抜かれて、更に指導されて磨かれていくって考えたら、やっぱりその日本人との技術の差は明らかなんだよね。
さすがに日本でアスファルトの上で裸足でボールを蹴ってる子はいないけど、人工芝のピッチとかが増えてる日本だからこそ裸足でボールを蹴ることができる環境はあると思うんだけど。
後はブラジルでたくさん見られる砂のピッチね。
あの砂のピッチで裸足でボールを蹴ることは、フィジカル面も含めて技術向上に役に立つと思うんだけど、なかなか日本では作れないかな。
若年層、それもU-10で裸足でボールを蹴らせる機会をつくることが、実は基本技術の更にベースを作り出せるんじゃないかな?って何となく思っている今日この頃…。
2009年07月22日
シュート練習?
日本の永遠の課題かもしれないね。
面白いけど、どの年代でも同じ事を言っている。
ある意味若年層ではゴールを決めていたのに、だんだん年代が上がるにつれて取れなくなっていく…っていうのなら何か原因を究明する必要があるのかもしれないけれど、日本では若年層から『得点力不足』とかって嘆くんだから、そりゃ育てるノウハウがないってことなんだと思うけど(苦笑)
昔の指導者なんかはそれでシュート練習って答えを出して、ひたすらシュート練習をさせるって傾向あったよね。
フリーの状態で黙々とやらせるっていうかな。
まあやらないよりはいいんだろうけどね。
最近ではシュート練習のシチュエーションなんかも指摘されるようになってきた。
試合に近い状況でのシュート練習っていうかな?それでもゴールを奪えない…。
しかも面白いのは、やっぱりシュート数(シュートの練習で打った数も含む)とゴール数が比例してないじゃないか?ってこと。
現日本協会会長は、『シュート数の数が絶対的に違う』って発言をしたらしいけど、軽率な発言だっていうのは少し事情を知っている人だったらすぐ気がついて失笑しただろうし、ジーコ監督が居残りでシュート練習させた時も『シュート練習をさせたからって入るもんじゃないよ』って思った人が大半だったと思う。
でも、本当の意味で自立した選手がシュート練習をしたら、もっと試合で決めるんじゃないか?と思うんだよね。
最近で言ったら、クリスチアーノ・ロナウドとかがシュート練習に打ち込んだらもっと決まるんじゃないか?なんて思うし。
僕が大きな原因だと思うのは、そのシュート練習に臨む姿勢だ。
ブラジルで僕がカルチャーショックを受けたことの一つがシュート練習だったんだけど、別に大したことをやるわけじゃなくて、日本でもウォーミングアップでやるような『ポストシュート』をブラジルでもやるわけ。
で、どんなカルチャーショックを受けたかというと…。
列を作って並ぶ、ここまでは日本と同じ。
でも、黙っているといつまでも自分に順番が回ってこないの!
ボールを持ってる奴が勝手にポストの選手に向かってボールを蹴って、順番を平気で飛ばしてシュートを打っちゃう。
おいおい!って声をかけるぐらいじゃいつまでたってもシュートを打てない。
だからボールをその並んでるところからでも『こっちにもよこせよ!』って奪ってシュートを打ちに行かないといけないし、そういう競争意識っていうか姿勢が全然違ったんだよね。
何も知らない人からしたら、常識っていうか『順番を守りましょう』っていうモラルがないだけに感じるかもしれないけれど、やっぱりそれぐらいの図々しさがないと、激しい試合でゴールを奪うシュートなんか打てっこないんだよね。
面白いけど、チームの得点王だった選手は、そういうシュート練習でも図々しく人のボールを奪ってはシュートを打ってたし(練習で決まるかは別として・笑)
日本で同じ事をやったとしたら、『割り込みするなよ!』とかっていうアピールはするだろうし、指導者も『順番を守れ!』っていう指導になるんだろうけど、語弊を承知で言うけど、それもどうなんだろう?って思う。
モラルを守る指導も大事なんだけど、やっぱりそういうピッチの中での駆け引きの要素っていうか、『自分がゴールを決めたい、決めてやる!』っていう気持ちが日本の選手には欠けてる気がするんだよね。
ガキ大将的な個性っていうか、そういう要素を上手く伸ばすことが、ゴールを奪えるFWを育てる一つのポイントかな?なんて、そんなブラジルでのなんでもないシュート練習を振り返って思う。
2009年06月24日
駆け引きの解釈
会場準備からちょっと離れて見ていたけれど、日本の若年層の駆け引きの甘さをピッチ外からも感じた。
挨拶にしても、警戒しているのか?知らない人だからいいやって軽い気持ちなのか?指導が行き届いていないのかはわからないけれど、意図のない挨拶、あるいは挨拶すらできないって感じだった。
僕が指導者に対して挨拶しているのを見て、『挨拶しなきゃ!』ってモードになるのはちょっと面白かったけど(笑)
育成の段階で、挨拶をさせるだけで満足してしまう指導者も多いのではないか?
特に少年サッカー等では、形だけの挨拶をさせて満足してしまうケースがあるように思える。
気持ちのいい挨拶をすることは非常に大事だ。
その上で社会で活かされる逞しさを身につけるためにも、コミュニケーションやいい意味での『駆け引き』に繋げていくことが大事なのではないだろうか?
試合を見ていても、個人でもグループでもチームでも、駆け引きが感じられなかったな。
特に個人でも、ボールを少し扱える子はボールをこねて、とりあえずボールを取られないようにっていう風にしか見えなかった。
そうすると、グループとしてもチームとしても、駆け引きが生まれるはずがないよね。
ちょっと話が前後するけど、その挨拶なんかもそういった『駆け引き』という表現は語弊があるけれど、やっぱり大事なアンテナを張るための手段だと思うんだよね。
こういうご時世だからこそ、不審な大人が現れる場合もある。
先に挨拶をすることで反応を見て、『あれ?変だぞ?』っていう異変に気がつくこともあるでしょう。
ある意味『駆け引き』に通づるものもあると思うんだけど。
試合前に握手をするセレモニーがあるけれど、あの時にも相手との真剣勝負の前なのだから、『絶対に負けないよ』って自信を相手に伝える必要がある。逆に自信満々な相手、格上の相手が余裕の表情をしていたら付け入る隙があるはずだし、自分たちとしてはそういう隙を見せないのも必要だ。
それを言葉にして選手に伝える必要はないんだけど、海外の選手はそういう術を知っているよね。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
プレー等の話に戻るけれど、やはり日本の選手は広い意味での駆け引きが苦手だと感じる。
W杯予選の最中のニュース番組等でも、某選手や某解説者も話していたことである。
『マイボールだからといって、全て焦って点を取りに行く必要はないし、その判断が必要』
その通りだと思う。
W杯予選や本大会ではこういった駆け引きは非常に重要になる。
特に真っ向勝負で敵わない相手に対してこそ、スコアで上回って最終的に勝利する為には、駆け引き無しでは結果はついてこない。
2006のドイツW杯でのブラジル戦はそういった駆け引きをやりきれないままにブラジルにやられた気がする。
先制したのだから、それなりの駆け引きをしなくては圧倒的な力の差があるブラジルに勝てるはずがないと誰もが考えたはずだし。
逆にそういった経験を活かすことがこれからの課題になってくるはずなのだけど、今回のW杯予選ではそういった経験が活かしているとは思えなかった。
まだまだ日本のサッカーは素直だ。
だからこそ、U-15のフットサルリーグを見て、その育成年代の問題点が凝縮されているのではないか?と興味深く見たことは言うまでもない。
本当にボールを奪ったら、闇雲に相手のゴールを目指しちゃう。
リズムも変わらないし、リズムが変わるのはたまたまボールをコントロールミスしてしまって、少し攻撃が遅れる時とか(苦笑)
本当に少々からだが大きくなって、少々技術が向上したら、代表のサッカーそのままになるんじゃないか?と思ったもん。
ビジネスの上では日本人は色々と駆け引きするのに、何でスポーツでは駆け引きしないんだろう?って思っちゃうよね(苦笑)
もちろん、狸的にグレーな駆け引きをするのはスポーツの世界には必要ないと思うけどさ。
そういうこともブラジルでいう少し一時期流行った『MALICIA』の要素の一つなんだよね。
ここまで否定的に書いたけど、もちろん全ての指導者が全て悪くもないし、色々と指導者の方は工夫もされてるなぁと感じることもあったけど、やっぱりそういった気がついたことに関しての情報交換をしてみたいと思ったもんね。
機会があれば、身近な指導者に対してそういったことをお話ししてみたいなって思うな。
2009年06月03日
監督のスタイル

ZICO率いるCSKAモスクワがロシアカップを制したらしい。
ロシアスーパーカップに続き2つ目のタイトルを獲得したことになる。
日本代表ではW杯で結果を残せなかったが、欧州のトルコ(フェネルバフチェ)やロシアでは結果を残していることになる。
中央アジアのウズベキスタン(ブニョドコル)では期間が短かったから何とも言えないけど、それでもリーグ、カップと2つのタイトルを獲っている。
監督にもスタイルがある。
選手を育成しながらチームも育てていくタイプや、頂点しか目指していないようなクラブをカリスマ性を発揮してタイトルを常に争い、勝たせてしまう勝負師タイプ。
ZICOがどういうタイプかといえば、まだイタリアやイングランド、スペイン等の欧州のトップクラブ(本当にUEFAチャンピオンズリーグ等でも優勝を争うような)を率いたことがないから何とも言えないけれど、ちょっと燻っている選手やチームを発憤させていくようなスタイルの指導者じゃないか?と思っている。
ZICOの著書や通訳の鈴木氏の著書を読む限り、日本代表ではテレ・サンターナがブラジル代表チームを率いていた頃のイメージを描いて、選手をリスペクトしながらある程度自由にやらせるスタイルをとっていたようだが、明らかにそのやり方は技術以外のメンタリティ等でも日本の選手の能力を理解していなかったということだろう。
冷静なイメージのある大分を率いるシャムスカ監督は、ブラジルでは意外にも激情家で知られていたという。
現在も監督としては若いのだけれど、それ以上に若かった時は本当にロッカールームでも壁を激しく叩いたりするシーンは日常茶飯事だったという。
日本では同じスタイルではなく、また違ったスタイルで選手の能力やチームを発憤させようとしているらしいが、やはりそれもマンネリ化したりしてしまうだろうし、選手に怪我人が続出してしまったことでただでさえ選手層が薄い大分は現在の順位となってしまっている。
やはり長期にわたり指導していくにあたり、それなりに常にアクセントを加えて行かなくてはならないということだろうか?
色々なスタイルがあるけれど、日本の指導者でも海外、それも欧州や南米で指揮の執れる指導者が現れてきた時に初めて、日本もそれなりのサッカー文化が根付いた事になると思う。
そう考えるとまだまだ時間がかかりそうだ…。
2009年06月01日
ボールを守りながら前を向く
腕を使うことも、指導の上ではキープするためには必要なことと指導されるようになってきた。
もちろん、ブラジル人選手のような腕の使い方のできる日本人選手はほとんどいない。
それは残念ながら、デモンストレーションの中でもボールをキープしている側の選手が優位に運ぶ見本を示せる指導者がいないのも原因なのだけど…それの改善にはまだまだ時間がかかりそうだ。
今回強調したいのはそれも含めた、『前を向く』ということ。
育成に当たり、ボールを失わないということを、ただキープしていればOKと判断してしまう指導者が多い。
最近、ボールポゼッションという言葉の解釈について色々な議論がされてきている。
ボールを失わないで支配するということを強調してしまい、ゴールに向かえないという現象が起きてしまっているのは事実だろう。
結局ボールをキープする時にもチームとしてボールを支配する時にも、『ボールキープ』『ポゼッション』という言葉が先行してしまい、前を向けない、ゴールに向かえないっていう事が起こってきてしまっていると思う。
特に日本の育成年代の練習を見ていると、どうしても一つの事をクローズアップしすぎて、試合で一番大事、いや、競技として一番大事な『ゴールを奪うため』の練習にならないことが多い気がする。
前から言っているけれど、基本練習でも、蹴る練習では蹴ることしかしないし、ボールを止めるトラップだったらトラップしかしないっていう基本練習の仕方が多い。
最近ではドリブルっていうプレーに注目して、ドリブルばっかりになってしまって、蹴る技術がいい加減になる傾向があるよね。ドリブルの延長でいい加減なアウトサイドとかトーキックとかで適当にパスするっていうのかな?それでは海外では草サッカーのレベルになってしまう。
で、ボールキープの際には前を向けない。
ボールを失わないことはある程度できるようになっても、前を向けないからボールがゴールの方向に運べない。
前を向くためにマーカーと駆け引きするとか、パスをもらう場所を示すとか、そういうキープ前の動作とかを考える練習はしていないもんね。
前を向かせてもらえなかったら、姿勢のいい奴がサポートに来てそこへパスを出してから前を向くとか、そういった話に繋げていけないし、段階を踏んでいったら自然にボールポゼッションに繋がっていくはずなんだけど、どうしても指導者が焦って先へ先へ進もうとするから中途半端なままゴールへ向かえないサッカーになってしまったりするんだよね。
繋ぐサッカーと蹴るサッカーっていう表現があるけれど、サッカーってそれだけじゃないはず。
でも、ゴールへ向かうっていう意味では縦へ急ぐっていうのもある意味正しいし、敵陣に相手DF陣が引ききっているのに縦へ縦へって蹴り続けるっていうのも選手の育成には繋がらない。
そうしたら、『育成の為に繋ぐんだ!』って指導者がいうけれど、一番大事であるゴールへ向かうっていう意識が乏しくなってきたりね…これって育成年代だからといって『今はそれでいいんだ』っていうのとは違うと思うんだよね。
ボールキープやポゼッション、そういう意味でも『ゴールへ向かう』為に活かす練習をさせないといけないよね。
2009年05月30日
個人技は草サッカーから
NIKEジャパンの、高校生及び、ユース選手の育成を担う全国のサッカー指導者を対象にして実施した「サッカーにおける練習法と個人技(ワンプレー)に関する調査結果」だって。
結論から言うと、決定機を作り出す個人技(ワンプレー)は高校・ユース世代のサッカーにおいて重要だという意見が8割以上、個人技(ワンプレー)については選手各自の練習で補強してほしいという意見が9割…いや、ほぼ100%という結果が出ていた。
指導者は個人技を教えられないっていうか、限界を感じているってことかな?
いや、それは素直な意見だと思う。
前から色々書いているけれど、その個人技が生まれる環境が、いつも例に挙げるブラジルと日本では全然違うんだよね。
最近は育成におけるフットサルに注目する指導者も増えているけれど、日本でもフットサルをやれば個人技が上手くなるっていうわけでもない。
近年、ボールを一人一個っていう練習を取り入れるチームがどの年齢層にも増えてきた。
僕の指導するチームでも良く行う練習だし、その効果を否定しない。
でも、やっぱりそこで身につけるのと、若年層でブラジルみたいな環境で身につけた個人技の質は全然違うものになってしまう。
実際に僕はブラジルで色々なところで草サッカーに参加してみたけれど、その個人技の質っていうか、決定機を作り出す個人技の質が全然違ったと思う。
言葉にするのは簡単だけど、実際に狭いところへ追い込んだと思ったらボールが消える…気がついたら頭上にボールがあった…なんて事は、実際に体験しないとわからないんじゃないかな。
最近の日本の子はテレビ等の映像から真似をするケースが多いと思うんだけど、実際にはその真似ってスローモーションになっちゃう場合が多い。
実際の世界のトップレベルの選手の個人技はトップスピードの中でやってるからね、ノープレッシャーの中でボール一つで練習して、形だけはできるようになったとしても、実際にゲームの中で使えるようになるまでにはだいぶ時間がかかってしまうとかね。
色々な方からも最近コメントを頂いたけれど、自然発生的な個人技の育成は残念ながら日本の環境からは生まれてこない可能性が高いのかもしれない。
重ねて言うけど、一人にボール一個でできる練習は確かにボールフィーリングをつかむ上では非常に効率もいい。
ただ、そういう草サッカーから生まれてきた『局面打開の個人技の王様』みたいな選手は育てられないと思うんだよね。
しつこいけれど、基本的にブラジルとか海外の子は、草サッカーとか、アマチュアのクラブで目立った選手が声をかけられて初めてサッカーの指導が受けられる。
※日本の逆だよね…日本ではサッカースクールとかクラブに入らないと、サッカーはできないと考えちゃいがち…。
その海外で言う、クラブでしか受けられない指導っていうのが本当の基本である、『しっかりとした判断を伴う、ゲームで生きる止める、蹴る』といったこと。
残念ながら、近年の風潮である、
『最近の子は個人技が上手くなったね』
っていう評価は、足元が器用になっただけで、世界のトップクラスの個人技と比べたらまだまだだと感じてしまう。
しかも、本当の基本である、『判断を伴う、ゲームで生きる止める、蹴る』ことは教えられていない。
草サッカーのできる環境でない社会…残念だけど、これは日本だけでなく、海外でもそうなってきてしまったと言われている。
やっぱり野性的な感性を持った選手の個人技は、草サッカーから生まれてくる気がしてならない。
もっと純粋に草サッカーのできる環境をと考えると、今自分の関わっているフットサルを含め、何かできるんじゃないか?と考える今日この頃だ。
2009年05月15日
弱さに勝つ
7時からの朝練に参加するのは、深夜まで仕事する自分もかなりキツい(苦笑)
確かに自分はその朝練に毎日参加する義務はないんだけれど、そういう厳しい条件に対峙すると、本当に自分自身も含めて人間の弱さに気がつくね。
3学年で部員が60人弱いるサッカー部は、最近の中学校の傾向としては非常に恵まれた環境だと思われるけど、実際に練習に参加していたのは3分の2ぐらいだったかな?遅刻してきた選手も何人かいたし、結局は起きられなかったんだなって想像はつく。
何が弱いって言えばメンタル面の弱さなんだろうけど、全ての基本はメンタル面だと思うからね。
誰だって初めから強くはないと思う。
もちろん生まれ持った資質もあるから、多少のメンタリティの強い、弱いはあるだろうけど、基本的には対して変わらないはず。
でも、中学生ぐらいになった時にはっきりその差が現れてくるのかな?って思った。
家庭環境とかもあるから言い切れないことではあるけれど、きっと弱い奴ほど言い訳すると思う。
実際に自分で起きられない選手は、『起こしてもらえなかった』って平気で家の人のせいにするからね(苦笑)
具体的な技術の問題もそうなんだけど、やっぱりその基本技術の更なる土台がメンタリティだから、そういった精神的な弱さに勝つことで、技術面の向上が現れてくることは間違いない。
基本技術の習得は継続することだからね。
継続するのって精神的な強さが必要だからこそ、今日の朝練に参加できなかった3分の1の選手と遅刻してきた数人の選手には自分の弱さを実感して欲しいし、それ以外の選手もそういった面を改めて確認して欲しいと思った。
自分自身も含め、『自分の弱さに勝つ』こと、重要だよね。
2009年05月11日
国際試合で戦える選手とは?
5月9日の千葉対広島も、スタジアムの隣で指導しているチームの試合だったから足を運びたかったけど、他の仕事もあったから断念…まあ、三度の飯よりFUTEBOLですよ(笑)
余談はさておき、やはりACLに触れないわけにはいかない。
鹿島は監督が昨年の教訓を活かしてのチーム作りをしているからか、リーグでも首位、ACLの予選リーグでも首位に立った。
その他のACL予選リーグの試合もスタジアムで見たけれど、国際試合の為の戦い方は昨シーズンよりも良くなっていると思う。
過密スケジュールに対してのターンオーバー制は選手層の厚さにも繋がっているし、補強として韓国籍のパク・チュホを獲得。彼は水戸ではヴォランチとしてプレーしていたけど、韓国の各世代の代表では左のサイドバックとしてプレー。
要するに日本全体に一番足りないと思われる、左のサイドバックを補強したことになるんだろう。
元々のレギュラーだった新井場は、日本でも評価の高いサイドバックではあったが、守備に対して不安があったのは事実だし、それを分析しての補強だったのだと思われる。
実際に新井場は左だけでなく右のサイドバックとしてプレーもできるし、バックアッパーとしてそれなりに活躍している。
当たり前なのだけど、そういうチーム内の競争を呼び込むことは必要不可欠であるし、昨シーズンの教訓を活かしながら、選手層を厚くすることを考えて、オリヴェイラ監督は選手交代も頻繁に行っているし、本気で全タイトルを獲ることを考えているのが伝わってくる。
リーグでのモチベートも、『勝てばいい』って終盤ペースが落ちても確実に勝点3を取ってるのが、他チームからしたら憎たらしいかもしれないが、ブラジルの監督の考え方としてはよくあること。
要するに、長いシーズンを戦う上での駆け引きを知っているって事だろう。
横道に逸れたが、『国際試合で戦える選手とは?』ということで、国際試合で戦う選手に必要な要素で絶対に欠かせないのはメンタリティであることは、どなたでもおわかりだと思う。
昨シーズンの鹿島は、ACLとJリーグを並行して戦う上で、どうしても過密からの疲労という『未体験の敵』に勝てなかった。
最終的にリーグは制覇したけれども、他のACL参戦組の低迷にも助けられた感は否めない。
今シーズンは『全タイトル制覇』という目標の元、どう戦うのか?は注目していた。
今シーズンのACLのホームでの上海申花戦では、あり得ないほどのラフプレーに悩まされながらも2-0で勝利。
実際に負傷退場した選手を出したけれども、昨年の教訓を活かしながら、選手も少しだけれど成長しているなと感じた。
GWのJリーグと並行した水原三星戦は、アウェーで1-4と敗れていながらも3-0で勝利するという結果。
別にホームのアドバンテージがそれほどあったとは思えないし、選手が戦う姿勢を見せたことが、一番の勝因だと思う。
特に各選手が玉際ではかなり激しくボールを奪いに行っていたことは、当たり前なのだけれど、最大の成長の証だろう。
水原三星もかなり厳しく行っていたけれど、お互い熱くなることなく、国際試合らしい試合となった。
そんな試合に勝てるようになった要素は、昨シーズンの準々決勝敗退の悔しさと、アウェーでの1-4敗退の悔しさだろう。
メンタリティを強化する上での一番の特効薬は、『敗北の屈辱』だろう。
それに負ける人間も多いけれど、その屈辱を活かせることは非常に大きい。
実際に昨シーズンのホームでのアデレード・ユナイテッドとの準々決勝、フィジカルコンタクトに優れた相手に勝てず、ドローに終わり、アウェーでの第2戦でもそういったフィジカルコンタクトの違いを感じたのは間違いないし、敗北の屈辱感を味わったことは言うまでもない。
そこから学ぶことがないのであれば、プロ選手としての資質に欠けていると言わざるを得ない。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、ここまで書いていると、鹿島は良く戦っていると思われるかもしれないが、実はこれは最低限のラインだと考える。
プロの世界に飛び込んでから、国際試合に対しての心構えを覚えるよりも、いつか来るであろう国際試合に備えるための準備は必要だと考えるからだ。
実際に日本人の大半は内弁慶である。
指導の現場等で見ても、残念ながら同じ地区に住んでいる選手で固まる傾向や、外へ飛び出そうとする器の大きい選手はほとんどいない。
面白いけれど、トレセン等に出ていったとしても、そのトレセンっていう小さい世界でまた固まるんだよね(苦笑)
自分より上手い選手がいたとしたら、その敗北感からそれを追い越そうとするスピリットっていうかな、その意気込みみたいなのを煽るのも大事なんだろうね。
結局一つの山を登ったとしても、必ず大きな山あるわけでさ、またその山を登ってやろうっていう意欲を持った選手でないといい選手にはならないでしょ。
日本の富士山に登れたとしても、世界にはもっと大きな山があるわけだからさ、それを指導者も教えてやらないとダメなんだよね。
前から言っているけれど、大人と子供が一緒に蹴る機会なんかは本当に必要だと思う。
例えば普通の大人に勝てない子供じゃ、国際試合で通用しないでしょ。
具体的に書いたこともあるけれど、『大人げない』って言葉は競技のスポーツじゃ通用しないの。
仮に『鼻歌を歌ってでも負けない』レベルの大人がいたとして、それに気づいた子供は闘志をむき出しにして向かって行かなきゃ、いつまで経っても追いつけない。
『大人なんだから手を抜いてよ~』なんていう子供は、この先も厳しいよね。
でも、今の日本の風潮の大半は子供を守っちゃうことが多いから、とてもじゃないけどそういった『国際試合で通用する選手』を育てることはできないんじゃないかな。
&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
鹿島の試合を例に出したけど、実際に教訓を活かして勝っていくことも大事だし、それは貴重な経験となる。
Jリーグの試合と並行して見るとわかりやすいけど、ACLみたいな試合が絡む厳しい日程をこなしているチームがきちんと学べば、チームの強化にも繋がる。
しかし、幼少期から格上と戦う癖をつけていく事が、それよりも早く強いものに勝つための知恵を学ぶ機会となるのだと思う。
派遣切りとかっていう世の中でも、日本で働いてるブラジル人とかペルー人の大人は結構蹴る機会を求めてる。
公園の隅っこでも、そういう大人の外国人と日本人の子供の蹴る機会ができたら、国際試合で勝つ術を学ぶいい機会になるんじゃないかな?って思ったりするけど。
理想論だけどね、日本人の保護者のほとんどが前述の『内弁慶』で育っている以上、非常に難しいんだけれど。
2009年04月24日
遊びは誰が作るもの?
特にFUTEBOL、サッカー全般を始めるきっかけが、地域の少年サッカーのチームだとする。
まあ、そのサッカーを始めるきっかけとしては悪くないのかもしれないが、前から指摘しているようにサッカーが習い事になってしまい、どうしても指導者がいることに子供達が依存してしまう傾向ができあがってしまう危険性、傾向があるように思う。
基本的に海外では草サッカーで遊び、興味を持ってから技術の高い者がクラブで選手になるための指導を学ぶのだけれど、結局日本のやり方だと、どうしてもその遊びの中のFUTEBOL、サッカーを奪ってしまうのではないか?と感じている。
遊び場が減っているのだから、子供達だけで草サッカーというのは難しいのかもしれない。
しかし、前から指摘しているけれど、遊びの中から学ぶことは非常に大きいのにも関わらず、どうしても自分で環境を作っていく逞しさみたいなものが最近の子供達からは感じられない。
遠回しに言っているけれど、まずは大人の役割として何もしないで子供達の遊びを見守ることが大事な時もある。
僕がブラジルで感じたのは、基本的に大人も草サッカーで遊ぶのだけれど、そんな中に子供達も平気で入ってくるし、大人も拒まない。
サンパウロ郊外の広場で一度飛び入りで草サッカーに混じったことがあるけれど、明らかに10歳以下の子に対しても、大人は真後ろからガツガツ蹴ってるもんね(笑)でも、そんな中で驚いたのは、その子は大人の身体を両腕で押さえてしまって、ボールに触らせないように駆け引きしてたこと。
その日本みたいに少年サッカーから黒服の審判がついているのが当たり前な状態じゃないんだよね。
ルールもない中で大人も子供も同じ土俵で戦うから、そのための暗黙の了解のルールとかを自分たちで生み出していくっていうのかな…そういう逞しさを感じたよね。
日本の子みたいに、『コーチ~こういう時どうするの~?』なんてチームの練習で尋ねるような余裕はなくて、もうその厳しい草サッカーの一員っていうか、大人の遊びの草サッカーって社会の一員っていうのかな、そういう逞しさをサッカー先進国の子は小さい時から身につけていくんじゃないかな?
まあ、欧州でも草サッカーのできる場所が減ってるっていうのは問題になってるみたいだけど。
結局、大人が『子供が怪我をしないように…』ってコーディネートしていく日本のやりかたじゃなくて、『大人の社会の中で一日も早く戦えるようになるには』って子供達が混ざっていく社会の構図の差は大きいよね。
もちろん、子供達だけでボールを蹴ってる場面だってあるし、そのほうが普通だ。
そういう場面では、ピッチの大きさからルールまで…そう、自分たちのローカルルールなんかも子供達で積極的にコーディネートしていける逞しさは海外の子達と比べると、日本の子はだいぶ劣ってきてるんじゃないかな?
戦後の日本で草野球に熱中した子供達を僕みたいな若造が想像しても、人数が少なくたって三角ベースみたいなルールを作ったりってコーディネートする力が明らかに現代の子達より優れていたんじゃないか?と思う。
きっと少年サッカーのコーチが小学校中学年~高学年の子達に、
『今日は何してもいいよ、コーチは何も言わないから』
って言ったりすると、ちょっと真面目な子が仕切り始めたら、今までやってた練習とかをし始めちゃうと思うんだよね。
それはそれで否定はしちゃいけないけど、依存していた傾向が強ければ強いほど、そういう現象が現れてくると思うよ。
日本協会の指導書の中に、『大人は遊びのコーディネーター』って言葉があったけど、本当は子供が自分たちの遊びをコーディネートしていけなくちゃダメなんだよ。
たまたま最近、U-15のカテゴリーの指導の前に、選手が見えないところで遠くから何も言わずに見てたら、結局選手達は何もアクションを起こせなかった。
しばらくしたら、とりあえずシュート練習を始めたけど、ある意味予想通りだった。
うーん、彼らがU-12までどういう指導を受けていたかとかはわからないけど、やっぱり指導者に練習をコーディネートされる癖がついてるんだろうね。
好きなサッカーがしたくてみんな集まってるんだから、ゲームを始めればいいのにって単純に思うけど。
『遊びは誰が作るもの?』
実は社会の構図が海外の遊びの草サッカーには凝縮されてたりするんじゃないかな。
フットサル施設等で行われている、『個人参加フットサル』なんかも、実は施設のコーディネートがあって成立してるんだけど、残念ながら自分たちで遊びをコーディネートできないからこその現代人の依存の証拠なのかもしれないね。
2009年04月17日
悪循環
チーム数はかなりあるのに、実際に指導されているチーム(指導の質や内容はとりあえずおいておいて…)よりも、指導の現場に指導者がついていない状態のチームが多いこと!
指導者が常についていることで、場合によっては選手が指導者に依存してしまう傾向ができてしまうデメリットもあるのだけれど、全く指導者が指導の現場、選手の側にいないという傾向のチームはかなり多いのではないか?
特に人事の問題で、サッカー専門の先生でない人が顧問になるパターンだと、この傾向は高まってくる。
確かに教育現場での教員の方々は、様々な仕事を抱えているから、サッカーに興味のない顧問の先生だと、部活動が二の次になってしまう傾向が多いのは、残念ながら作り話ではない現実の大きな問題であると感じる。
※もちろん、部活動に熱心な方々もいらっしゃるからこその指摘であることをご理解頂きたいのだが…
※これはサッカー以外のスポーツにとっても大きな問題であるのだ。サッカーを他のスポーツに置き換えることもできると思われます。
通学地域の学校にサッカー部がない例もあれば、サッカー部があっても野放し状態のチームもある。
たまたま指導の現場に顔を出すことのできる教員の方がいたとしても、人事異動の可能性だってある…いや、間違いなく異動はあるのだから、影響を受けてしまう選手が必ず現れてしまう。
また残念ながら、サッカー経験のある顧問の先生が日頃の練習の現場になかなか顔を出せない場合にありがちなのは、試合に勝たせるだけの指導に偏ることだ。特にトーナメント形式の大会だとこの傾向は更に強くなってくる。
やはり日頃の練習の中で技術の差は現れるのだけれど、ただ勝たせるだけなら特にU15世代だと意外と技術の差をごまかせてしまう…実際一発勝負の中の勝たせ方っていうのは絶対あるよね?
『勝ちたい』って気持ちを引き出すっていうのは大事だし、競技である以上負けていい試合なんか一つもない。
しかし、その勝利のみを追求する姿勢に関しては、勝利至上主義に否定的な意見がこれだけ高まっているにも関わらず、未だになくなっていない…非常に残念だ。
内容の伴った指導のできている中体連所属のチームって、実際あるのだろうか?
外部から指導者を招き入れるしか現時点では解決策が見当たらないけど、やはり外部から指導者を招き入れるにはそれなりの待遇も必要であろう。
本来、顧問の先生という指導者が指導するべきところに外部指導員が入るわけだから、やはりボランティアではいけないと思っているのだけれど、現状はそういう指導者を招き入れる工夫をしているチームはどれくらいあるのだろうか?
指導者の絶対数も少ない中、まだまだ育成の現場の問題は解決には遠いということだろうか…?
2009年04月05日
選手のために指導者の交流を
先日の指導しているU-18世代のチームの練習試合で、対戦相手のチームに、過去指導していた教え子がいた。
こういうことは嬉しいことでもあるし、残念に思うこともある。
元気に挨拶して談笑する…それは楽しいことだし、元気な顔を見られただけでも嬉しい。
しかし、プレーを見ると残念に思ってしまうことがある。
そんなとき、自分の手を離れてしまっているのだから僕が言えることは限られてくるし、当然言いたいことがあっても我慢するしかない。
例えば今回思ったのは、その選手に必要な指導ができているかどうか?ということだ。
ある選手はもともと細身の選手で、FWだけれどフィジカルコンタクトを得意としていない選手だった。
技術的には時々面白い発想も持っているし、もう少しフィジカルコンタクトで優位に立つために、筋力を上げて線が太くなるといいなと思っていた。
しかしピッチに立った彼の姿を見て感じたのは、多少身長が伸びたが、全く線が太くなっていないという事実だった。
指導しているチームの対戦相手にその彼がいるとはいえ、指導したことのある選手だから、やはり気にならないわけがない(苦笑)
見れば見るほど、プレースタイルが改善されるどころか、『あれ?こんな選手だったっけ?』と残念に感じることばかり…。
そこで考えたのは、やはり指導者間の情報交換を活発にし、選手を伸ばしてあげようという姿勢が必要だなということだ。
今回の件で言えば、まずは自分もその選手に対しての意見(長所や、改善を要するポイント等)を指導者に伝えてもよかったのではないか?ということを反省した。
逆に言えば、U-15世代のチームから選手を預かる立場のU-18世代の指導者は、積極的にその選手の特徴(性格、メンタル面、技術面等…)を把握するためにコミュニケーションを取ろうとしなければいけないだろう。
前にも地域の指導者同士の交流の重要性を訴えたいと思ったことがあったが、今回は改めて感じてしまった。
よくありがちなのは、下の世代の指導者が選手を送り出して、選手が伸びなかった時に『俺が育てた選手を潰された』という評価をすること。
でも、本当は送り出してそれで終わりじゃないんだよね。
逆に上の世代の指導者も、選手を預かった後にも積極的に下の世代の指導者とコミュニケーションを取り、アドバイスをもらう等のアクションがなくてはいけないと思うんだよね。
僕はどちらにも関わってるわけだから、凄く複雑な気分だったのは言うまでもありません…。
@@@@@@@@@@@@@@@@@
やっぱり学校での部活っていう枠の中のサッカーだと、色々と難しいこともあるよね。
指導者も人事等で替わることもあるし、学力によって希望する学校に入れないこともある。
それはある程度仕方ないことだけど、地域の学校やチーム間での交流が本当の意味で縦のつながりも横のつながりも盛んになれば、移籍(これはU-18世代だと難しいんだけど…)なんかも若年層からも活発にすることができる。
『自分のチームでは試合になかなか使えないけれど、他のチームなら試合に出場できるから…』
って理由の移籍だったり、
『世代が一つ上がるのなら、この選手ならあのチームのスタイルが合っているんじゃないか?』
っていう理由での進路指導?なんかもできるだろうし。
指導者ってプライドが高くないといけない面も絶対あるけれど、やっぱりそういう繋がりを持って選手を育てていこうっていう姿勢を持つことは大事だと思う。
『自分のチームが勝つため』だけじゃなくて、『選手のため』っていうことの方が重要なんだよね。
2009年03月19日
大人と子供
試合が始まって、ブラジル人選手のファーストプレーで『あ、まだまだ僕の指導はダメだ…指導不足だ…』と思った。
まずキックの質が違うし、ボールを持つ時の姿勢が違う。
そしてプレッシャーの中でボールを扱う時やフィジカルコンタクトの仕方…わかってはいたつもりだし、やっぱりなって感じだったけど、実際に自分の指導しているチームの選手が対峙しても歯が立たないのを目の当たりにし冒頭の『あ、まだまだ僕の指導はダメだ…指導不足だ…』という感想は、更に確信につながっていった。
例えばプレーを言葉に現せば、『プレーイングエリアを確保する』ための手の使い方。
ただ手で押さえればいいっていうわけじゃなくて、時には押し返したり、時には引っ張ったり、相手の手を払ったり。
U-18世代だからこそ完成されていなくてはいけない基本…その基本っていうのは止める蹴るだけじゃなくて、プレッシャーの中で判断を伴ってできる技術こそが基本だということを改めて思い知らされた気がする。
また、実際にボールを同じピッチで追いかけてフィジカルコンタクトをしている姿を見ると、身体の厚みが日本人選手の倍ぐらいあるのではないか?と思わせるほどだった。
今回対戦した彼らだけでなく、全国各地の私立の高校に留学生という形でブラジルのプロの下部組織でプレーしていた選手がやってきているのだけど、ある意味非常にもったいないと思う。
浮き球を競り合い、相手と身体がぶつかっているのに身体の軸がぶれないだけでなく、ぴたっとボールを胸で処理して正確に近くのフリーの見方にパスしている姿なんかを見て、『最低でもこのレベルに育てないと、世界で戦えないんだ…』と改めて感じずにはいられなかった。
冒頭にも書いた感情を抱いてしまった以上、反省の一言である。
2009年02月26日
努力することの意味
誰でも似たようなことを考えたことがあるのではないだろうか?
10年ちょっと前に、RIOの名門、ボタフォゴにマウリシーニョという選手がいた。
どう見ても小柄だし、正直サッカー選手としても有利なものを持っているとは外見では思えなかった。
当時のボタフォゴにはトゥーリオというゴールゲッターがいて、FWの相方にはヴェルディ等でもプレーしたドニゼッチとか、結構豪華なメンバーだったんだよね。
そんな中で、マウリシーニョのプレーは強烈に印象に残っている。
特別にスピードがあるわけじゃないんだけど、2列目から相手の重心の逆をとってドリブルで突進していくプレースタイル。
パスセンスもあって、『ああ、こういう選手もいるんだな…』って妙に納得しちゃったりして。
セレソン・ブラジレイラに招集されるようなことはなかったけれど、プロ選手としては十分活躍したんじゃないだろうか?
当時自分が世話になっていたクラブの寮でボタフォゴの試合を見ていると、ブラジル人のチームメイトが、
『小さいのにいい選手だろ?』と僕に言ってきたのを覚えている。
ある意味、『お前も見習え!』と言われているようだったけど(苦笑)
GKとかCBみたいに、どうしても身長がある程度必要なポジションだったら、諦めないといけないこともたくさんあるかもしれないけど、バレーボールとか物理的に身長が必要なスポーツとはちょっと違うから、努力の仕方やプレースタイルの研究でいくらでも自分のプレーヤーとしての可能性を広げることができると思うんだよね。
昔の人の発想で、『サッカーは足が速くないといけない』なんていう話があったけど、今となってはばかばかしい話だよね。
ちょっと前にも書いたとおり、最低限の運動能力は必要だと思うよ。
最低限の持久力や、最低限の瞬発力、もちろん身体の大きさだって最低限必要な大きさはあると思う。
でも、そういった点をクリアしていたとしても、『僕は体が小さいから…』『足が遅いから…』って言い訳をして、努力をしないで諦めちゃったりするのは違うじゃない?
逆にそういうハンディをクリアした選手って自信に満ちあふれてるよね。
ジュニーニョ・パウリスタなんかは強烈だったね…爆発的なスピードのあるドリブルは、サンパウロFC時代はファウルでしか止められなかったしね。
実際、164cmのジュニーニョ・パウリスタが、大柄な相手に対してガンガン仕掛ける場面は圧巻だった。
きっとその人にしかできないプレースタイルがあるはずなんだよね。
他の人に比べて恵まれてないことがあるからこそ、何か他の人にできないことがあるはず。
そういう風に信じて努力し続ける選手が成功すると思うんだけど。
成功しない選手はどこかで諦めちゃってるんだよね。
仮にプロ選手として成功しなかったとしても、その時努力した経験はきっと何かに生きてくるはずだし。
そんな個性を引き出すことだって、優れた指導者の条件なんだと思うけどな。



